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イヤホンを買い換えて。

Amazonのアプリがスマホを光らせる。どうやら、きのう購入したイヤホンの配達が完了したらしい。「お急ぎ便」を指定したのは紛れもなく自分だけれども、注文から1日で到着してしまうとは、改めてなんて便利な世の中なのだろう。ゴールデンウィークにも届けてくれる配達員さんに、感謝と労いを念じておく。

ここ3年ほどすっかりのめり込んでいる、ゲームで使うイヤホンである。これまで使っていたものから、左耳の音がしなくなったのだ。まあ特段めずらしいことではない、おそらくそれなりの時間を経て断線でもしたのだろう。そんなこんなで新たなイヤホンを迎え入れたわけで、当然きのうまで使っていたそれは、引退である。今までありがとうという気持ちを抱きながら、送り出したいと思う。

そして一方で、あえて示せばもうそれには用がなくなった状況である。極端にいえば、右耳の音しか聞こえないイヤホンには「価値がない」のであり、僕はその価値を求めてAmazonでポチったわけだ。

ふとこの交代劇から、かつて東京で暮らしていた頃を思い出した。1日限りのアルバイトやフリーランスとしての時間を過ごす中で、僕はこれまで何度も縁を切られる経験をしてきた。いやきっと、僕自身も縁を切ってきたのだと思う。価値を感じなくなり、すなわち不要だと思えば、人は離れる生きものである。ほかのところへ価値を求めて身を移したりリソースを割いたりするのは、動物として至極まっとうな話だと思う。

地元へUターンしてきて地域で活動している今も、僕の根底にはこの感覚がある。人間には誰しも個性があって、それだけコミュニケーションには相性があって、平たくいえば誰もが仲良しになれるわけではない。たとえば関係性が絶たれれば、また違う環境を求めるだけ。もちろん絶交を積極的に求めているわけではなく、その覚悟があるという話なのだが、イヤホンと自分の関係性からふと、そんなことを考えていた。

いつもいつもありがとうございます〜。