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問いと答えのバランス。

中学生を対象とした、グループワークを見学してきた。毎年夏にまちの事業のひとつで町内の中学生(希望者)が長崎県へ平和学習に赴いており、その振り返りというかまとめとしてワークが行われた(ちなみにきのうのnoteに書いた相談はこの件である)。事業担当の職員さんが場を回し、僕はウロウロかつヘラヘラしながら中学生と接して、あくまで場を和ませるような役割を担った。

結論、とても面白かった。単純に楽しかっただけなく、場をつくる難しさを感じたという意味で、興味深い時間となった。いわゆるinterestingだったのである。

場を回すファシリテーターに求められるのは、「問い」と「答え」のバランスなのだと改めて気づかされた。参加者の学びを深めるための「問い」は不可欠だとして、一方でそれだけでは何をどう考えればよいのか理解が進まないこともある。そのために必要なもののひとつが、“例として”の「答え」。例えばこんなアイデアがあるよ、こんなイメージでまとめてもらってもいいよと、主催側から少しばかり「答え」を示す瞬間があってもいい。

しかし、あまりにそれが多くなりすぎてもよくないだろう。あくまで主役は参加者であり、つまり彼らに「答え」を生み出してもらうことが、ファシリテーターの役割である。となれば理想は、例としての「答え」は必要最小限にして、「問い」を与えること。そして、彼らの思考を促進すること。今回の中学生に限らず、参加者のスキルやポテンシャルに基づく発想を、とにかく“アシスト”するのが主催としての正しいあり方なのではないかと思った。

ふと、ファシリテーターに必要なのは「参加者を信じること」とも言えるような気がしてきた。その場で「答え」を生み出せるのだと信じられれば、「問い」を与えることに徹しても窮屈ではないだろう。いずれにせよ僕にとって、その場にいる人の存在に依拠するグループワークは、ひいてはファシリテーションや場づくりは、いつどこに行っても発見があり勉強になると感じたのだった。

いつもいつもありがとうございます〜。