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うっかりデザイン。

きのう、おもに仙台市を拠点に「焚き火×対話」の場を設けている人の話を聞いてきた。バリバリのビジネスマンとして資本主義社会のど真ん中を生きていたという彼は、友人の急逝をきっかけに自らの生き方を見つめ直し、焚き火や対話に行き着いたのだという。試行錯誤を繰り返しながら場づくりを続け、昨年は行政とタッグを組んでの企画も実現させた。

じつは僕も昨年、共通の知人を通して彼と出会っており、自分にとって“焚き火の師”といっても過言ではない。ということもあり久しぶりに会ってきたのだが、そこで最近焚き火を始めたビギナーとして「火を焚くときに気をつけていること」を問うてみた。たとえば、何かやるべきことはありますか、と。

すると彼の答えは「何もしないこと」だった。それはすなわち、その場の雰囲気に任せること。委ねること。もちろん火を灯すホストとして、ゲストに感じてほしいことや持って帰ってもらいたいことのような、ささやかな願いはあるというのだが、「自分が何かをしてやろう」「対話を通じてみんなに変化をもたらそう」なんて意気込むのは“おこがましい”と感じているそうだ。

さらに興味深かったのは、より対話の場の広げるための感覚としてのキーワード「うっかり」である。対話という言葉に惹かれる人は普段からそれに馴染みのあるような人であり、対話とまったく無縁な人にもそれを届けるためには、うっかりさせる必要があるという。たとえば街中やイベントで焚き火を見かけて、そんなつもりはなかったけれども「うっかり来てしまった」とか。そのツールはもはや焚き火じゃなくてもいい、なんてことも彼は話していたのだが、「うっかりをデザインすること」は、これから心がけてみたいと思えている。

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