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対話という羅針盤を。

対話という言葉を聞いて、どのようなイメージを抱くだろう。近ごろ猛烈な興味を抱いた僕は、とりあえずAmazonで書籍を検索してみた。すると「相手との対話」や「社会との対話」という、おもにコミュニケーションとしての意味合いが謳われていたように思う。会話と対話はどう違うんだろう、などというように。

ただそれは、おとといまでの合宿プログラムやきのうのオンラインセミナーで、対話を浴びるように学んできた今の僕とは、少し異なる。僕にとっての対話は、コミュニケーションというよりも内省である。自分自身の感覚や価値観としっかり向き合い、ときに表現し、その上でようやく誰かや何かとの関係性を持つイメージ。関わることの前提として、まずは自分の言葉で自分をキャッチすることが重要なのではないかと思う。

そうでなければ、いくら良い人や場所に出会えたとしても、どこか自分と噛み合わない。「軸」が定まっていないからだ。自分はこうありたいという希望、あれを成し遂げたいという野望。そのピントを対話を通じて合わせてこそ、自分以外の存在や環境との関係性を深めていけるように思うのだ。僕の最近の実体験としても、特に深く考えることなく、つまり対話を蔑ろにして受け入れた仕事や足を運んだ場所は、なんだか空虚なものだった。もちろん、ぜんぶ自分の責任である。

それはまるで、羅針盤だ。対話を通じて自己理解を深めてこそ、将来のあるべき姿や進むべき未来が見えてくるのではないだろうか。僕はしっかりと自分の言葉を胸の内に秘めて、人生という航海を進めていきたい。そしてこれから、そんな対話できる人を少しでも増やす活動も仕掛けていきたいと密かに思うのである。

いつもいつもありがとうございます〜。