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人はどこまで変われるのか。

場づくりをテーマとしたオンラインイベントに参加してみた。実際に事業として取り組んでいる4人の方々が、場づくりにおいて気をつけていることや「良い」のモノサシ、あるいは失敗談なんかをトークする。僕自身もまさに今、じぶんの町でコミュニティをつくろうとしているわけであり、その参考になればと参加を決めた。

印象的だったのは「オーナーの存在」の重要性である。コミュニティをかたちづくるのは結局個人の思いであり、その個人がいなければ“無責任な場”として転がってしまうようだ。僕は、あまりにコミュニティを率いるオーナーの思いや存在感が強すぎては所属メンバーに悪影響を及ぼしかねないのではないか、というか“誰のものでもない”ような状態がポジティブだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。あくまで個人の思いが、コミュニティを支えてくれるのだという。

そのためには、オーナーがコミュニティを通して所属メンバーにどのような変化をもたらしたいのか、あるいは社会にどのような影響を与えたいのかを考える必要があるようだ。中でも所属メンバーを観察して、その時に応じて必要なコミュニケーションやコンテンツを提供することは、オーナーをはじめとするコアメンバーの重要な役割のひとつとなる。

ただ、僕自身はこの話を聞きながら、正直「そんなに他人に興味がないかもしれない」と少し不安を覚えた。言うまでもなく、ひとりの言動や価値観ひいては人格を形成するには、それまで過ごしてきた環境や経験が重要になるだろう。決して昨日今日の話ではなく、それなりの年月が積み重ねっている。すなわち僕は、そう簡単に人間は変われないと思っているのだ。だから、基本的にあまり他人に期待することはない。「仕方ないよね、だってそうやって生きてきたんだもんね」と、よく言えば寛容的な、わるく言えば放任的な人間である。

そんな価値観もあり、たとえば自分のコミュニティのメンバーにどのような影響を与えられるのか、また変化をもたらせるのか、これからオーナーとなるべき僕自身に疑問がある。他人への影響や変化を信じられることは、人は変われると信じられることだ。いったい人は、どこまで変われるのだろう。気づけばそれこそ僕自身が、変化を求められている状況なのかもしれない。

いつもいつもありがとうございます〜。