見出し画像

やさしく、たのしく。

「場づくり」について考える。

地域おこし協力隊に着任してから、しばしばワークショップやグループワークの機会をつくっている。多世代の人を募りまちづくりについて意見交換する場、焚き火を囲んで対話をする場、あるいはお酒を交わすプライベートな場もそうだろう。主催するだけでなく、活動を見学したり自分自身が参加したりして、自分なりの「よい・わるい」を計るモノサシもなんとなくわかってきた。

そんな姿を見ていたおなじ町の職員さんが、僕のもとを訪ねてきた。どうやら中学生を対象としたグループワークを予定していて、それが上手くいくようアドバイスが欲しいのだという。すでに生徒の皆さんへ配られた事前課題、そして当日のワークの流れを教えてもらった。

僕はまず、当日に与える「問い」の解像度について話した。たとえば「平和のためにこれからできることは?」という大きな問いでは、中学生だろうが高校生だろうが、たとえ大人だろうが、なかなか対話が深まらないことがある。主催として最終的に引き出したい答えがあるとしたら、そこに参加者がしっかりイメージを繋げられるよう、導線を組む必要があるだろう。「日常の中で平和を感じる瞬間は?」や「そもそも平和ってなんだろう?」と、参加者の気持ちを想像して、問いの解像度をコントロールしたい。

あとは何より、今回主催として中学生を集める職員自身(大人)が、明るくフランクに振る舞うこと。場の雰囲気やテンションはその場にいる人の表情、服装、仕草など、参加者全体に委ねられるものである。そして、特に場を回すファシリテーターのような人の影響は、どうしても割合として大きくなるのだ。僕のもとへ相談に来てくれた職員さんには、影響力の大きさとあり方の重要性を伝えた。

参加者の気持ちを考えて、主催として朗らかに振る舞うこと。気づけば僕は、あえてひとことで「やさしく、たのしく」と結論づけていた。場というものは、そこにいる人次第で盛り上がるもするし、盛り下がりもする。よくもわるくも、人のあり方に依拠するものである。今の僕にはそう感じられていて、だからこそその仕組みを信じて場をつくっていきたいし、求められたアドバイスにも応えていきたいと思っている。

いつもいつもありがとうございます〜。