じんわり、見極める。
「大村さんはどんなことを話せるんですか?ぜひネタとかあれば教えてください」
先日、とある人から尋ねられた。その人は、いわゆるキャリア教育に携わる民間企業で働いていたらしい。そこで繋がった学校とは転職した今でも繋がりがあるらしく、今後僕にも授業で登壇するオファーをできるかもしれないから、話せる(話したい)ネタやジャンルがあれば教えてほしい、ということだったようだ。
「うーん…そうですね。まあこれまで地域で生きることやライティングについて登壇して話してきましたが、ちょっとスタンスがしっくりきていません。これまでオファーはネタというより僕という“人”にいただいてきたものだと思っていて、『これ話せますよ』ってメニューのようには出していませんね。もしお願いされたらその都度テーマに関する問いを立てて、自分の答えを話せるとは思っていますが」
僕は、率直な言葉を返していた。
コミュニケーションのあり方として、ひいては生き方として、ピンとこない発想だった。別にわるくいうつもりもないけれど、正直いま現在も、首を傾げる自分がいる。たしかに得意なネタやジャンルを掲げれば、よりわかりやすく、より多くの人からチャンスをいただけるのかもしれない。しかしながら、僕は仕事の成り立ちというか、その前後のコミュニケーションにもこだわりたい。“僕だから”お願いされたいし、そこはもう「ネタはそっちが考えてよ」とすら思うわけだ。あるいは逆の立場になれば、“あなただから”とお願いしたいと思う。
そして、そんな人の適性を見極めて、求められたテーマと照らし合わせながら適切な「場」をつくることが、仲介および調整するコーディネーターの役割なのではないかとも思った。何ならそれが醍醐味であり、腕の見せどころではないだろうか。当人に直接尋ねて質問や対話をするのもひとつの手段だとして、少なくとも僕は、時間を共にすることでじんわりと滲み出るものを見極めたい。いやいや、まだ潜在的な部分にも目を配りたいし、コーディネーターとしても探究していたい。結果として、自分のこだわりやのびしろを感じることができたのである。