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会話を通して対話をする。

「【人】を地域の新たな魅力にする」という夢を思い描き、地域おこし協力隊としてUターンした僕の本質は、対話にあった。前向きで挑戦的で輝きを放つ大人たちは、自分自身の好きなことや興味あることと向き合ってこそ、生まれるものではないか、と。そんなことに気がついてから僕は、よくもわるくもその概念や言葉に取り憑かれている気がする。

僕にとっての対話は、きっと「本質さがし」である。やや大げさな表現かもしれないが、ヒトやモノ、あるいはコトの本質をさがし出すこと。見きわめること。人によってその定義や感覚はそれぞれかもしれないが、今の僕はそう考えている。そう感じている。

そのための手段のひとつとして、会話があるというイメージである。言葉として対話とどう区別すべきなのか、そんな問いが聞こえることも少なくないが、個人的には会話を「本質をさがす方法のひとつ」と捉えているわけだ。すなわち会話は、人の人のコミュニケーションを指し、対話はもっと深いところにアプローチするイメージを抱いている。

最近、僕は焚き火という手段も覚えつつある。ぼんやりと火を眺めながらゆったりとした時間を送り、自分自身や他人と向き合うコンテンツ。今の自分が誰よりも求めている「本質さがし」ができる場をつくるべく、会話という言葉ともしっかり区別しながら、対話ができる人を増やしていきたいと思う。

いつもいつもありがとうございます〜。