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あいさつの本質。

ものごとには順序があって、当然それを守ることが正義とされる。プラモデルを組み立てるにも、料理を完成させるにも、その説明書やレシピには番号が振られているだろう。いや、決してモノに限らずとも、誰かと協力しながら何かを成し遂げるような、そんなコトにおいても順序がある。

たとえば地域で何かを企画するならば、地域で生きる人とのコミュニケーションは不可欠だ。そしてもちろん話を持っていく順番も大切で、「なんで先にアイツさ言ったんだ」「俺は聞いてないぞ」なんてヘソを曲げられてしまうことも、容易に考えられる。別にナーバスになる必要はないけれども、より広い視野と、時間と心のゆとりを持って、まっとうに考えたい次第である。

そう感じている中で、最近ふとあいさつの重要性に気がついた。

たとえ知人同士だとしても、その日初めて会ったときは「こんにちは」「お疲れ様です」と声をかけるだろう。あいさつを蔑ろにして、企画の話や実際のアクションに移ることはむずかしい。少なくとも僕の周りの地域の人々はそう感じているはずで、すなわちあいさつは、コミュニケーションにおける欠かすことができない“一歩目”なのだ。マリオでいえば「1−1」でクリボーを踏みつけるところから始まるべきであり、いきなりクッパと戦えるわけではないだろう。

あいさつをしない誰かに対して、憤っている人をたまに見かける。正直僕はその真意を掴みきれていなかったが、きっとキーワードは「順序」なのではないだろうか。何気なくとも、誰かにあいさつをすることは、コミュニケーションのステップを踏める人間なのだと示すこと。なんだか今は、そんな気がしている。

いつもいつもありがとうございます〜。