大崎善生「聖の青春」とメメントモリ
今日は1年ぶりに甲状腺癌の経過観察検査があった。前回までは半年ごとで、今回から一年に一回となった。それだけ経過が良好ということなのだろうけど、期間が空いたら空いたで不安は募る。
癌が見つかったのは2021年の夏、コロナが再度流行り出していた頃で、病棟を封鎖するかどうかという感じの局面だったし、面会はかなり制限されていた。ほぼ時を同じくして大阪に住む姉が高齢出産(しかも初産)で臨月を迎えていて、両親からしたら息子と娘が同時に入院ということで気が気でなかっただろうと思う。1人は出産、1人は癌というのも気忙しかったと思われる。
あれから3年が経ち、あの時生まれた姪っ子は高齢出産であるため色々心配も杞憂に終わり、しっかり元気で体も大きく、ド田舎に引っ越したこともあって今日も元気に野山を走り回っている。
僕は僕で手術は成功して基本的には取り切れており、今のところは術後は好調。甲状腺がんは進行が非常に遅いため逆に10年間の経過観察ではあるけれども、一応は無事に暮らせている。
ただ、日々の中では忘れているけれど、ふとした瞬間に喉の違和感を感じると「もしかして…」となってしまう自分もいる。これは人の性だと思う。仕方がない。自分自身は大したこともなく手術を終えたものの、入院していた1週間、同じ病室には重たい方もいらっしゃって、昼夜交わされる看護師さんとのやりとりや苦しそうな様子がどうしても時々思い起こされてしまう。
もう一つ、時々思い出すのが病室で読んだ「智の青春」だ。
羽生善治さんのライバルであり、持病があり若くしてなくなった棋士の村山聖六段を扱ったノンフィクション。
死の恐怖と向き合いながら、命を燃やし尽くすように将棋にくらいつき熱く生き抜いた村山六段の姿は、退院後しばらく自分の心の支えになった。
メメントモリ。死を思え。自分が病気になったことで、いつ誰に何が起きるともわからない、人はいつ死ぬともわからないということを強く実感した。
その中で聖の青春を読み、いつ死んでも後悔がないようにいるためにはどうすればいいか、を考えるようになった。
今思い返すと、これは自分にとってあまり良くない感情のループにハマる入り口だった。
何をするにも、自分は早く死ぬかもしれないから、というのを前提に考えるようになってしまい、今この時に力を出すことに目が向いて、長期的なことを敬遠するようになっていたと思う。
そのことに気がついたのが、今年の4月から3ヶ月取らざるを得なくなった休職期間だった。
休職期間中に、体力作りのためにジムへ通い始めた。休職中なことをよしとして頻度高く通った結果、少しずつ体が変わっていく感覚があった。
ここ数年いかに自分が身体に対して投げやりになっていたかがわかった。どうせ人はいつか死ぬのだからいつ死んでも後悔しないように生きようという思い。そうした思いが少し良くない方向へ空回りしていたようにおもう。
確かにいつ何があるかわからないし、死はいつだって、誰にだって、避けようもなくそこにある。ただ、死を思いすぎて生きることそのものを大切にしなくなってはダメだと思った。
メメントモリ、その感覚がどこか投げやりさになっていたのかもしれない。死を思えばこそ、生きている以上は生きることに執着したい。村山聖さんも燃やし尽くそうとしていたわけではないはずだ。まあ続けようとしたはず。
1年ぶりの検査を受けながらそんな気持ちになった真夏の日だった。
日が沈んだら、ジムに行こう。
しかしこんな季節だったんだなぁ。あの頃はなぜか少し寒い気がしていた。ずっとうっすらとした恐怖がまとわりついて冷や汗をかいていたからなんだろうな。
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