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『嫌われ松子の一生』を観て※ネタバレあり

『嫌われ松子の一生』を観ました
これで三回目

最初観たときは、「悲惨な人生だなぁ~こんな人生送りたくないなぁ~」と思いましたが、
二回目、三回目で印象が変わりました

まず松子、とんでもなくファザコンです
病弱な妹・久美にばかり父の関心は行き、松子には見向きもしない
寂しい幼少期を送りました
ここで不思議なのが、「母親」像が全く出てこないところです
産まれてすぐに愛着を覚えるのは母親です
母親と子供は強い絆で結ばれているはずです
でも『嫌われ松子』では母親像は一切描かれていないのです

「ファザコン」それが、松子の一生を転落させたとも言えなくありません
次々とダメな男たちの餌食になります
DV、不倫、ヒモ、内縁、ヤクザの舎弟の情婦
全ては「父性」を求めていたからではないか?と思います
無償の愛を男性から与えられたかったのです
変顔して相手の気を引かなくても…

「餌食」と先述しましたが、
松子は受け身ではありませんでした
全ての男性を心身ともに愛してました
松子は愛に溢れた人でした

それゆえに、愛の純粋さゆえに、
「裏切られた」と感じるのです

ソープ嬢、殺人、刑務所入り
ここまで重いテーマを持ってしても
どこかコミカルで笑いさえ起きます
挿入歌、ミュージカル調が軽くしています
それは中島哲也監督のすごいところだと思います

松子が死んだとき、松子の弟は「つまらん人生だった」と言いますが
松子ほど濃厚な人生を送った人は居ないと思います
人を愛し、許す

松子が教諭時代に窃盗を行った男子生徒(龍洋一)が、大人になって松子に会います
窃盗を松子は自分のものとして、教諭をクビになり、転落人生を歩み始めました
龍は、大人になってから、松子と体の関係を持ちますが、ある出来事から刑務所入り
キリストの教えを諭されます
「許されざる者を許し、そして愛する」

松子はキリストの施しを受けていなくても、それが出来る愛に溢れた人だったのです

松子の弟の子供、甥にあたる笙(しょう)は、
松子の死後、父親から松子の部屋の遺品整理を頼まれ、徐々に松子の生涯に触れていきます

笙は、ミュージシャンを目指して上京
それも諦めチャランポランな人生でした

笙の元恋人が、こう言って笙の元を去ります
「人間の価値って、人に何をしてもらったじゃなくて、人に何をしてあげたかだよね」

もう松子は十分に人にしてあげた人生だったでしょう

終盤アパートで一人暮らしし、食べ続け太りに太って、異臭も放ち、ゴミの出し方も違反で、
アパートの住人とも挨拶せず、夜中奇声をあげる
そんな松子も最後の最後まで、人のために生きました

アパート近くの荒川河川敷で、夜中まで遊んでる中学生に
「早く家に帰れ」と叫ぶのです
その後の松子はもう…

「孤独よりはマシ」と、ダメ男を引き入れる松子がそこまで恐れていた「孤独」とは何だったのでしょうか?
松子を想い続け、日記に記して死んでいった父
姉の帰りを待ちわびて「お姉ちゃん、お帰り」が最期の言葉だった妹・久美
松子の死後も松子を愛し、訪ねてくれた龍
けして孤独ではなかった
けして嫌われてはなかった

最後の最後のシーンで、松子が実家の階段を上がります
階段の上には、久美が待っています
松子「ただいま」
久美「おかえり」

松子はただ、「おかえり」「ただいま」を言い合える家族が欲しかっただけではなかったのか、と思います
その証拠に、一人暮らしの部屋に松子が帰ってきたときに、松子が一人で「ただいま」というシーンが何度か出てきます

人は松子を「不器用だ」と言います
でも私はそうは思いません
器用とは言い難いけど、その時その時を一生懸命生きただけだと思います

人生とは何か?人を愛するとは何か?孤独とは何か?
いろんなことを投げ掛けてくれる映画です
是非皆さん一度観てみてください

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