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全ての人が自分を尊重できる世界は存在するか 【#ホニャララLIVE 059】

土曜の夜(6/19)、久しぶりに #ホニャララLIVE を見ました。
ゲストは、児童労働問題の解決に取り組む国際協力NGO「ACE」代表の岩附由香さんでした(下にリンク貼らせていただいてます)。

「知ろうとしなかった」というより、正直「見たくない、知りたくない」だから「目を逸らしていたい」いうのが実は本音だった、今回のテーマ。

だから、正直本当に全く直前まで見る気はありませんでした。でも、わたしの中で何かが変わった。

それは何かというと、「逃げちゃダメだ」(某超有名アニメの主人公みたいですが)と思ったからで、そしてその気持ちに寄り添うきっかけが、わたしの生活の中で起こっていた負の連鎖と繋がったからです。

わたしに起こっていた負の連鎖

それは、「欲しいものがないといけない病」です。
言い換えれば、「お金はあるうちに使う病」。

これが、一体どう関係あるわけ?とか、いやいや、児童労働の話は?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
でも、物事の解像度を下げて、抽象度を上げていくと、同じ概念というか、「幼少期からの思い込み」によって培われたものにより自分を本来の自分とはかけ離れた状態の負の連鎖に閉じ込めている、という点おいては同じだとわたしは思いました。

書いていたら長くなったので、別のnoteに分けました。
良かったら読んでみてください。

...ちなみに、この問題はわたしの人生において何度も何度も浮上しては消え(というかわたしによって踏み躙られ、見て見ぬふりをされた自分がずっとそこにいた)を繰り返していたことです。

今回、水星逆行+夏至直前、というタイミングと、これまで自分がいろいろ向き合ってきたり、行動してきたり(もちろん時には立ち止まったり、急ブレーキもありました)したことが、繋がったんだなという感じがすごくしました。

だから、有難いなぁと素直に思いました。
それと同時に、目を背けてはいけない現実を目の当たりにすることになりました。

皆さん、ぜひ、直接、岩附さん(とyujiさんと井出さん)のおはなしをお聴きください。


なぜ見たくなかったか

ここから書かないと素直じゃない気がするので、まずはここに触れます。

わたしは、ユニセフのCMを見たくない人です(でした)。

ひとつは、そういう世界があること、そういう境遇にある子どもたち(もちろん大人もですが)が同じ地球で生きていることを知ってしまうと、目が背けられなくなることや、そもそも自分の生活の基盤が揺らいでしまうほどの衝撃を受ける、と“わかって”いるから。

だからこそ、見ないようにしている自分がいることはわかっていました。わたしにとっては、貧しい子どもたちの生活に直面することは、戦争とか、犯罪とかとおなじなんです。

現実なんだけど、あえて自分の生活に入れないようにしてしまっていること。そうしている理由は、前述の通りです。

もうひとつは、わたしだって助けて欲しかった、という気持ちがわいてくるからなんですね(程度や境遇の違いは承知の上で言ってます)。

だって、子どもの時、わたしの世界はひとつだった。選べるものではなかったし、与えられたものを受け入れるしかなかった。この部分のみでいえば、同じだと思います。子どもは、与えられた環境の中以上のことを知ることは不可能です。

だから、知識がないと何も出来ないけど、その知識さえも最初は無いし、それを得るための機会や環境もない。

知っても何も出来ないなら、知らないほうが幸せ、という考え方もありますし、わたしもそれはよくわかります。

あとは、こういってしまっては元も子もないのですし、他人事だからそんなことが言えるんだと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、厳しいことをいうと、そういう人生を選んで生まれてきている、というのもあると思います。

つまり、こんな風に自分の中に押し込めていたたくさんの考えや想いが噴出してしまうのが嫌で、見たくなかったわけなのです。さっきも書きましたが、知っても何としない自分を知っているからです。そういう自分を直視したくなかった。

でも、その自分に対する答えは、ホニャララLIVEの中で提示していただくことができました。それについては、後述します。


ドラマで描かれていた「搾取」の問題

最近、また「逃げ恥婚」で盛り上がっていた某人気ドラマですが、わたしはあのドライさが好きでコミックも全巻持っています。

特に、「好きの搾取」「労働力の搾取」ということに関しては、何度も何度も読み返したり、ドラマも見返しました。
自分の中にあった違和感をハッキリと表現してくれてありがとうと思いました。

また、『MIU404』の 「#04 ミリオンダラー・ガール」では「」小さな女の子”という言葉を中心に、女性の社会的地位や扱いについて(これは全話に渡り描かれてもいます)、また「#05 夢の島」では、外国人労働者からの夢の搾取(お金、労働力、時間、心の搾取)について描かれていました。
自分の中では“知っていたに違いないのに目を背けていた”ことに気付き、またその一環に加担していると感じ、ゾクッとしました。

踏み躙られる、蹂躙される、そしてそれは、“自分にはどうにもならない”ところで、“知らないうちに”行われている。この状態のことを貧困というなら、話は飛ぶけど、日本でも(日本人対象でも)同じことが、今この瞬間も行われていて、存在しています。

家庭内での、幼児虐待(性被害を含む)DV、ネグレクト、などの問題。少しだけ外に出たら、いじめ。パワハラ、モラハラなどのハラスメント。
これらも全て同じこと。

少々強引かも知れませんが、自分を含め誰かを傷つけたいわけではありません。そういうふうな見方をすることで、自分の置かれている環境・状況(過去においても現在においても、また未来においても)への視線のむけ方が変わるし、何か気付くこともあるかもしれない。気づけば必ず人は変わる。だから、自分の知らないことに気付くって大切だと思うし、普段からそういう視点をもつと意識するだけでも変わると思ってます。

日常の中に、『児童労働』から派生したり、関連する全てのことが、散りばめられている。
わたしたちは、無関係では無い。当事者なんだ。その事実を、そっ と静かに、目の前に置いていただいたような回だったと思います。


疑問を持つこと、そして知ろうとすること

先程から、「視点を変える」ということをすごく書いていると思うのですが、それは貧困の一番の原因は、「思い込み」だと思うからです。

そして、それは周りからの圧力(同調圧力ともいえるかもしれない...全くのイコールではないけど)により、「どんどんそう思い込まされて」いく。

自分にとっての「当たり前」の定義が、他者のそれ(しかもその他者もまた誰かによって「そう思い込まされた」もの)によってさも「当たり前」であるかのようにねじ込まれていく。

この明らかな負の連鎖を断ち切ること。
「どうにもならない」と、諦めないこと。そのためには、現状を“正しく”“明らかに”“つぶさに”見ること。

そしてそのために必要なのが本当は正しい知識(教育)であったり、自分で感じ受け取り考える力(思考力)なのだと思う。でも、それを構築するための“時間”や“機会”が初めから奪われた状態にあるのでは、どうしようもない。

だから、児童労働などの問題には、ACEさんのようなNGOが必要なんだと思った。

現地(当事者の方たち)では、誰も解決能力を持たない。いや、持てない。
それはなぜか?


サバイバル=生命を維持すること

それは、「今日という日を生き抜かねばならない」からだと思う。

自分では“どうにもならな”くて、“実態を見極めることすらも困難”なことに時間や思考を割くよりも、目の前にある仕事や作業をしなければ生きていけない。

おかしいと思っていても、そうしなければ今日の糧を得ることは出来ない。それが得られなければそこにあるのは『死』であり、日常の搾取がそこに直結してしまっている。
これが、この問題が無くならない、無くせない、最大の理由ではないかとわたしは考えています。

まず、訪れるのは社会的な死かもしれない。
そして、その先に本当の意味で生命が死の危機に晒される。
そんな状態の中で、人は何かを改善しようとすることは出来ない(し、前述の通り、毎日の生活がそれなのだから、時間や思考も奪われていくし、人間の持っている“順応力”により、どんどんそれが「当たり前」になってしまう。

これが、わたしが考える途方もない負の連鎖のイメージだけど、たぶんわたしが知らないことはまだ山ほどあると思うので、もうどうにもならない気持ちになってしまう。

だから、といって思考を放棄することはもうしたくない。

では、どうしたらいいのか、どうしたいか。
そこで、ACEさんが現在行われているクラウドファンディングに参加させていただくことにしました。


クラウドファンディング

何も出来ないから知ろうとしない、のではなく、知った上でも何も出来ない(現地に行くとかの行動を起こすこと)からって無力感に苛まれてしまうのが嫌だったわたし。

でも、こういったクラウドファンディングに参加することや、買い物をするときに少し意識を変えること。
そういう小さなことの積み重ねが、少しづつ世界を変えていくのなら、わたしもそこに参加したい!と素直に思いました。

自分の中の後ろめたさは消える訳では無いけれど、何もしないよりはまし。

「自分が行動してるんじゃないなら何もしてないのと同じ」「お金だけ払えばいいなんて...」と批判的に考えていた自分は手放しました。
だって、本当に何もできないんですから。

だったら、その活動をしておられる方々に想いを託すという形で、お金というツールを使えばいい。お金はツール、わたしの気持ちやエネルギーを代弁してくれるもの。お金って、こんなにも有難いものだった。

そして、この後ろめたさ(自分は何もできない...云々)は自分の問題(もしくは思考のくせ、持って生まれた性質)なので、それはそれで別に個人的な感情や囚われ(縛り)として扱ったり、向き合っていけばいいんだ、と改めて捉え直すことができました。

それはつまり、はじめて、「児童労働問題」と「自分」を、自分の意識の中で明確に切り離すことができた、ということでもあります。
そして、お金はツールであり、自分の想いを託すものとう新しい概念(とてもすき)に辿り着けたこと。

全てを通して、感謝しかありません。
ありがとうございます。

支援募集は7月15日(木)午後11:00までで、“All-or-Nothing方式”だそうです。
わたしは、このプロジェクトが実現すると信じていますので、少しでもその未来のために少しでも役に立てるよう、行動したいと思います。


さいごに

目の前の問題と等しく、遠い国のことも見つめる。
でも、だからといって自分の生活を疎かにしたりはしない。
でも、だからといって目を背けたり、無かったことにもしない。

こういうカタチで、「地に足をつける」方法がある。

今回も、本当にたくさんのことを学ばせていただきました。
ありがとうございました。


今回、『児童労働』をはじめとして、様々な搾取の形を取り上げてきましたが、根底に流れているものとしては、“フォーカスしてもまたピントがズレる”を繰り返しやすい問題なんだな、と感じました。

何かを変えれば、すぐに結果に結びついたり、劇的に変わるわけじゃないから、長期スパンになるし、余計にぶれやすいんだな、と(これは自分自身に置き換えて思ったことです)。

でも、フォーカスしてピントがズレるのなら、またピントを合わせ直せばいい。そのためのシステムを構築していけばいい。
それを続けていくこと(フォーカスし直し続けること)で、いつの日か変わる日がきっとくる。そう思いました。

ACEのみなさんは、大きな大河を創る仕事をされているんだと思いました。
ほんとに尊敬しかありません。
ホニャララLIVEで岩附さんのお話を伺って、本当に本当に良かったです。


さいごに、全ての人が自分を尊重できる世界は存在するかというタイトルをつけましたが、その世界は存在すると、わたしは信じます。



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