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好きを封印していた話

わたしが、わたしの好きを封印していた話。

自分の中にある。
だから大丈夫。
自分がそれを大事にするだけ。

"ある"の意味がまたひとつ深まった気がしている、
蟹座満月明け、
の2022年上半期の終わり、
の今日、
という日。




そのことがなんだか不意に自分の中でくるくると纏まって、それと同時に、ああ、わたしは自分の中に好きが"ある"ことを認めるのが怖かったんだな、とも思っている(というか確信した)。
だから、ないことにしたかったんだろうと今ならわかる。だから、対象を増やしたり、分散したりして、あえて好きをつくらないようにしていたのだ。

好きを作らない、というのはそれでもまだ建前で、1番を作らないことにした。

わたしは、特定のものを好きになりたくなかった。
好き自体はわたしの中に沢山ある。それに気付いてるから十分幸せだし、特に足りてないものは無いと思っていた。
なんなら、所謂《博愛》みたいなところに辿り着いた自分は結構すごいとか思っていた。

浅はかだったと思う。
だって、本気の好きがない人生なんて、お味噌の入っていないお味噌汁みたいなものなのに。

でもそれはわたしの心が弱かったんじゃなくて、本当の"ある"を知らなかったのだということなんだとわかった。

ただ、それを知る前に、大きな喪失体験があったから、何かを好きになることが怖くなってしまった。大好きなもの、1番のもの、それがあることで自分が満たされるものは、そう思ったものから無くなると思ってきた。

そのときわたしは幼かった。寧ろ、幼すぎた。
だから、その体験は大きすぎて、自分では受け止めきれず、受け止めきれなかったその気持ちを外に放りだすことで自分を守ったんだと思う。1番は要らない。好きは作らない。そんなものに、わたしの大切な心を明け渡す訳にはいかない、と。

だけど、今わたしはこう思っている。

好きがわたしを創る。
好きがわたしを生かす。
わたしの中にある好きという気持ちは、わたしの原動力だったのだ、と。

きっと、自分自身が未熟だったから気付けなかったことに、今やっと気付けた感じがする。

ネイタルチャートの5hにいるわたしの月。
大変長らくお待たせしました!という気持ち。

ずっと、自ら欠けさせ続けて、不安定にし続けてごめんね。

自分の好きなものが、もしある日突然目の前から消える日がまたやって来たとしても、だからといってわたしの中にある好きの気持ちがなくなる訳では無いのだとわかった。
わざわざそれを手放すことは無い。自分にとって大事なものは、自分が大事にしたらいい。それが、もしも自分以外のヒト・モノ・コトにとってはそうじゃなかったとしても、自分が好きだから好きなんだという気持ちを大切にすること。それが好きなわたしを、わたしが好きなんだということ。

自分の好きに誇りを持つ、みたいな、それくらいの感覚なんだと思う(さすがネイタル5hの月😂👑)。
わたしにとっては覚悟がいること。だって、気持ちは変わるものだし、満ち欠けするものだから。でも、大事なのは、その揺れ動くことも含めた、体験そのものなんだとわかった。しばらく観察して、自分に馴染ませていくことにする。

更にいうと、そもそも、わたしの中にこれが好きだという気持ちがあるからこそ起きる満ち欠けなのだと思うと、満ち欠けがあるということは、そもそもあるということなのだと思えて謎に安心するなと思ったりもした。いや、また急に不安になったり落ち込んだりもするけど、だからこそ嬉しかったり楽しかったりもするのだから。渦中にいる時は到底そうは思えないので、思える間にこうやってここに書いておこうと思う(笑)


カードが言ってたことはきっとこのことだろう。

粋なメッセージをありがとう。
覚悟、できてますでしょうか?☺️


ちなみに、こっちもまんまで笑っちゃうほど有難い。


この世界は上手くできている。
わたしが、上手くできていると分からない間も、ずっと上手くできている。
上手くできている、はちょっと違いますね。
"そういうふう"に、できている。


わたしが、わたしの好きを封印していた話。
おしまい。



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