世界との接続点 10/13
ときどき、世界との接続点がわからなくなる。
あれ、どうやって人と話してたんだっけ?
あれ、この〇〇って結局どうしたらいいんだっけ?
あれ、何だったら△△に書いていいんだっけ?
あれ、あれ、あれ、、、
と、気が付いたらひとりぼっちになっている。
あれ?を通り越して、自分の中で何故か色んなことが全く繋がらなくなる、繋がらなくなっていることに気付く。それは、自分と世界の間にかつてあったはずの全ての接続が絶たれていることに気付いた瞬間で、その瞬間がきたら、また上記のような思考が繰り返される。
あれ、あれ、あれ、、、?
このような状態になっても、ここを必ず抜けることは知っているし、大丈夫なのだけど、このmodeに入っているときのわたしの中には、確信といえたはずのその感覚は単なる過去のevidenceでしかない。
一応、その感覚についての検証もある程度完成しつつあって、既に自分の感覚という根拠=evidenceとしてのdataは集まっているはず…にもかかわらず、このときの自分にとってはそれすらも、だから大丈夫なんだという'答えだけ知ってる'というある意味なんとも心許ない感覚なのであるから、わたしは本当にタチが悪い。自分で自分が扱いづらい。
そして、それはそのうち、どんどん他力本願になってくる。
だれかがどうにかしてくれないかな、と自分では何もしていないのに、ぼんやりと想いが飛びはじめる。わたしの望む誰かが、わたしの望むことをしてくれないかな、ビックリするような展開が訪れて、このまま急に世界が晴れやかにならないかな(この辺感覚的なものだったので言葉にしてみたらこうなりました)、みたいな感じ。
想像力だけは良くも悪くもとても豊かなので、「こうなったらいいな」はどんどん出てくるけど、それをしていても全然幸せにはならない。なぜなら、このときのわたしの「こうなったらいいな」は、「こうなったらいいな(絶対ならないとわかってるけど)」なのだ。それは叶わない、叶うわけが無い。自ら、否定を引き寄せているだけのことだから、現実は何も変わらない。
そしてまた、都合よく悲観的になってゆき、世界との接続点はもちろん見つからず、色んなことが動かなくなっていく。身体も心も重くなるし、動きたくない(自分を守っていたい)。そのときは無理矢理何かをすることは逆効果なので、むやみやたらに何かをすることはわたしはしない(今のところ)。
そんな中でも、微かに聴こえる「………」がある。したくないをし尽くしていると(したくないをする、とは何もしないことを許して無駄にダラダラすること)、ふ としたスキマに微かに「………」と何かが入ってくる。
それに耳をすませる。
それは、おそらくわたしとの間の接続点だから。
なになに、何だって?ふんふん、えー、カード?まあひいてもいいけど…え、3つも引くの?基本的には1枚なんだけどなぁ。うーん、でもまぁそうしたいっつってるし、頭は無のままにしておいて、そのままやってみようかな、仕方ないなぁ(このpatternはやっといた方がいいやつだしな←ちょっとずる賢いとこもある´д` ;)。
という流れで、今朝はタロット3枚引いていたのでした。
とりあえず、カードを通して"何らかの感覚"とは繋がることができたように思う。再接続(仮)になれた感じ。この感覚は、まだまだまだまだ、試し運転な感じだけど、少しだけ、ハルカトオクに小さな光が見えている気がするから、このまま自分を浮遊させておく。
無理矢理行動しない。気が済むまでそのままにすること。それが、結局一番最短。これはわたしに対するわたしの処方箋で、全ての人には当てはまらないと思うけど、自分の中ではBESTの処方。変わることはもちろんあるだろうし、毎回違うから毎回見極める。
無理やり行動することで気が変わることも、運動することで運が動くこともわかっているし知っている。でも、それをこんなにも何もしたくないときに、「騙されたと思って」と踏ん切りをつけるのはひとりでは無理で、だからこういうときは誰かいたらいいなぁと思うのだからわたしは勝手だと思う(苦笑)
すごく良くはない。でも、いまはこれでいいし、これが精一杯だ。見る人が見たら何も良くないし、何が精一杯やねんと言われそうな(というか確実に言われる)状態だけど、いまここにいるこんなにイケてない自分にこれでいいと自分を添わせることができたらそれでいいと思う。変わるのが怖いんだろうと言われたらそれは怖いんだろうと思う。それを見て見ぬふりをしているのでは無いし、変わろうとしているからこそ、こういう状態になっているのかもしれない。心や身体を置いてけぼりにしようとしている自分がいるから、心や身体が反逆を起こすのだ。したいことだけを追い求めるのではなく、自分自身との調和を大切にすること(とくにネガティブな自分)が、とても大切なんだと思う。
あと、ときには自分擁護も大切で、違うと分かりながらも守ってあげるという体験もいいと思っている。何となくまだ向き合いたくない、もう少しだけ猶予が欲しい。まだ決まらないから、もう少しだけ。そういう自分を鼓舞するのも、擁護するのも自分だし、ただ逃げてるだけの自分を守ってることもあるけど、それもそれでいいと思う。だって、結局自分は全部わかっているのだから。自分のことなんだから、分かることも分からないことも含め、誤魔化してるのもそうじゃないのも含め、全部自分の中にあるものなんだから。それは既に存在している、だから答えも未来も存在する。どこで踏ん切りをつけるのか、その自分をじっと見守る。苦しくても、耐え難くても、その自分から気を逸らさずに。
二度寝してたら、こんな夢を見た。
Twitterの下書きに入れて置いた(そのとき呟かなかった)もの、お蔵入りせず日の目を見れて良かった。
こうやってちょっとずつ出していく。光を当てていく。
自分があてたい部分に直接当たらなくても、当てられなくても関係ない。その行為は、必ず何かに、どこかに繋がる。自分でも、誰かでも、世界でも。
そうだ。世界との接続点が見えなくなるのは、特定の接続点のみにフォーカスしてしまっている状態になるからかもしれない。
答えがその外側にあるとき、何も見えなくなるということだ。だから、見えない時は見ないこと、わからないときはわかろうとしないこと。何か特定のことでないと〇にならなくなって頑なになってしまってる自分を、そっとゆるめるときなのかもしれない。
拡大レンズをつけたまま夜空を見ても見たいものは見えない。その前に見ていたものに引っ張られて、余計に見えないし、そもそもそれが無かったとしてもピントが全く合わないから何を見てるかわからなくなると思う。たぶん、ここにいるとき、わたしは世界との接続点を無くした気になるんだと思う。
その拡大レンズをまずは外すことから。外して、改めて全体を見て、知らないところにあった気になる星を見つけたら、またそこを拡大して見たらいい。
サムネは、見たい星があるならまずは全体を見てから拡大したらええやん、と思えたのでこちらを使わせていただきました。本来の趣旨と違ったら申し訳ありませんが、視点にfocusするという視点をまずは外すという大きな気付きが得られたこと、感謝致します(書き終わってから選ばせてもらいました☺️)。見たい星が見つかったら、片目に集中した方がより見えるなぁと言うところまで、ひとつのストーリーをこの絵の中に見せていただきました。
ということで、おしまい。
潜在意識の土砂崩れは、一体何を教えてくれてるのか、引き続き、現実を観察します。
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