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感覚を言葉にするということの難しさ

おはようございます。
のびたまごです!

昨日は、逗子で開催されたこちらのイベントに参加させていただいていました。

感想というか、わたしが感じたことのまとめみたいなものを、朝起きて最初に呟いて、そこから色々と思考や感覚をホッピングして、今ここに至っています。


思考のホッピングと振り返り

発端は、最近とある不思議な流れ(それもまた感覚のホッピングかも)で辿り着いた、自分の過去のnote。

こちら☟

これ読み直したとき、正直びっくりして、「今のわたしにこれは書けない」と思ったんです。そして、それが結構ショックでもあって。

なぜかというと、わたしは自分の感覚の言語化がこの上なく好きだからです。そして、それ自体は今もしているんですけど、自分の内側だけのものって、しかもここまでいろいろと掘り下げたり検証したり、内側を晒すみたいなことって、最近していたのかな?とふと疑問に思って。

晒さないといけないと思ってるわけではないし、ダメだとも思わない。たぶん、自分も色々変わってきているし、だからダメなわけではない。でもわたしは、なぜかここに2回も「ダメ」と書いていて、、、

なんか、「ダメ」だと思っているらしい。ふむ。

何がダメなのか。
丁寧さに掛けてる気がするのか、それとも今の自分にここまで丁寧に自分に想いを寄せる感覚や時間を使う気がないことがダメなのか。後者かな、後者だろうな...

自分のために時間を使っているという自負はある。もちろん、まだまだ発展途上であることは、わかってないことも含め、そうわかった上で。
でも、その中の内訳として、わたしのためだけのわたしを感じる時間、そこにそっと寄り添う時間、細かく細かく感じて、言葉を紡ぐこと、その言葉によってより深く、自分の感覚を掘り起こすこと...そういうことって、できていたのかなぁ、と。

ある意味できていて、ある意味ではできていない。
そういうふうに考えていったときに、自分と繋がっていないところがあるのかもしれない。

これは、ネガティブな思いの羅列や吐露ではなく、単なる事実としてわたしは受け取っていて、明日からの太陽乙女座シーズンを前に、とても良いのではないかと思っている。

と、いいつつ、わたしのネイタルチャートにおいて、乙女座は10hであり、社会の部屋にあるのでそのバランスが問われるところだな、それこそ自分が太陽天秤云々の星を選んできてることの意味ってここにあるんだろうな、と漠然と感覚だは掴んでいて、やはりそうか...とひとり納得していたりも。
(なぜなら、天秤座からみると乙女座は12番目の部屋にあたるため、引きこもりたいタイミングでもあるから。そのバランスのえぐさ、みたいなこと。感覚的にどこをpublicと捉えるかとかいろいろ深めてるんですが、それを書くと話がズレすぎるのでここではこのくらいで。)

これまでのわたしだったら、たぶん1人で内省して、言語化して、納得して、終わりにしていたかもしれないけど、今年はもちろんそれをするのは大前提として、そのプロセスや自分の今の感覚を、そのときに逢える人、目の前に居る人に、話してみたいなぁと思っている自分がいて、とても不思議だし、そんな自分は新しくて、そして面白いなぁ、と感じている。そして更には、その人の感覚や言葉、今の状況、過去の話を聞いて、今の自分とここにこの感覚がある意味今起きていることの意味を、色んな角度から照らしたり確認したり発掘したりして、そういういう深め方をさせてもらえるとありがたいな...!と思っているのです。

改めて少しだけど今の自分の中にあるものを言語化してみたら、少し前までは絶対にしたくなかったことをしてみたいと思っている自分がいて、たぶんきっと既にそうなっていたことも確認できて確信して、なんだかとてもほこほこしている。


これまでのわたしと今のわたし

なぜ、少し前までは絶対にしたくなかったのかというと、情けない話、人の方がすごいと思ってしまうのが嫌だったから(これほんと不甲斐ないやつで、書くの嫌ですが書かないと嘘になるから書いときます。正直穴に入りたい。)。

自分にとって宝物のような、これがいちばん最適な言語化だと思ったものを話して(しかもめちゃくちゃ時間も言葉も自分も尽くしたのに)、目の前の人が自分が思ったよりも遥かにすごい言葉や感覚でそのことを言語化してわたしに返してくれたときの絶望がすごかったから。
価値が全く受け取れず、受け取れないばかりか(それだけならまだしも)、それを自分を否定するツールとして使ってしまっていたので、とてもとてもややこし大変でした。。。人に話すというだけでもだいぶHP使ってへろへろになってるところに、その人からいただけるお話が素晴らしければすばらしいほど、自分はダメな気がしてしまう気がしていた

だから、傷つきたくないから、一人一城の主として自分の世界に君臨して、自分のことを守って、比べないことで偽りの安心感を得て、更には自分だけの空想や妄想の世界の中で、他者をバカにしていたのだと思う。そうやって1人だけの王様でいることで、わたしはわたしを守っていた。

でも、今は、自分の感覚だけで完璧にもっていくよりも(そもそもそんなの不可能なんだけど笑、ただ一応、「完璧!」思ったその一瞬だけは完璧になりますから☺️←正確には自分の中に「完璧!」というエネルギーが満ちるから)、誰かと話すことで感覚をより深めたり、それによってそこから更にその感覚を育てたり、知らなかったこと/わからなかったことが見えたりして…それを受け取ってまた自分の中で生まれるものがあって、そのcycleが楽しいなって、そう思えるようになってきているんだなと。

極端に言葉にしてみると、これまでは、人と話すことで深まるのが嫌だったし(自分にとっての完璧が違ったことになる=自己否定)、育つのも嫌だったし(自分の中でその可能性を見い出せなかったことが耐えられない=完璧主義)、知らなかったことが見えるのも嫌だった(視点が足りない、自分の味方が甘いから=不足、未熟、半人前…とにかくダメな感じ😂)。だから、それを受け取ってまた何かが生まれるなんていう先の世界線があろうことなんて想像だにできず。むしろそんな世界線は絶望や自己破壊の先にあるもので、自分の存在価値がなくなることだったんですよね。
ええ、思い込みが激しいことと極度(極度以上)の完璧主義であることは自覚があります。書いてて自分でもドン引くくらいには(苦笑)

でも、それを経てきたから、今の喜びがあるんだと思うし、これまでの経験全部が、ひとつの世界としていま目の前に広がりつつあることを、今のわたしは感じて、受け取っているから。


つまり全ては『内なる星を辿る旅』であるということ

2022年03月03日、魚座の新月からはじめたワークショップ『内なる星を辿る旅』

旅のゴールは2022年09月10日、魚座満月。
そのひとつ手前の水瓶座の満月で、わたしがうけとったこと、それを描いた絵を、今回はサムネに選んでいたのですが、こういう着地になるとは思わず、地味に感動しています。

『uni-birth』
『 uni-birth 』

ひとつがあって
ぜんぶがある

ひとつがあって
ぜんぶになる

ひとつになって
ぜんぶになる

ひとつになって
ぜんぶがある

そういうことなんだなぁ。
色々書いてきたけど、やっぱり、もう既に、意識は次に向いている。

魚座満月で一旦finaleを迎える『内なる星を辿る旅』ですが、その次の天秤座新月より、2nd seasonをはじめることをわたしわたしたちは既に決めていて。

許しと浄化に向き合ってきた約7ヶ月のおわりと、その先にある'わたし'と共にあゆむ、co-createのはじまり。

そのはざまのときにいる。
そんなときである今、このnoteを通して今の自分の振り返りができたこと。もう始まっていて、だからこそわかること、見えること、繋がれる感覚があること。
そんなことを感じて、言葉にして、自分といて、とても良かった。
贅沢な時間を過ごせました。



さいごに

先程ご紹介した『内なる星を辿る旅』の2nd seasonは、既に募集を開始しております!
気になる方はぜひお問い合わせ、お申し込みお待ちしております☺️🌌

星の調べと音の響き。

源にtuningすることを通して、今ここにいるわたしに気付き、目覚め、思い出し、繋がり、満ち、整い、そして、ずっとただ、ここにあるということを感じる時間を、共にあゆんで行けたら嬉しいです。



内側にあるものを辿っていったら、自然と今のわたしにかえってきたつながった喜びを感じつつ。

おしまい。


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