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ナシになったということは? 2024/06/27(28) -2

気になるなぁーと思っていて、何回か参加してみたいなぁと思っていた講座(1day)があったのだが、申し込むつもりでまだ決めきらなかったところ、開催が中止になったとの告知文を目にした。ちなみに、昨日。

「へーーーーーー。」というのが、わたしの正直な感想だった。地味にショックも受けた。なぜなら、地味に、ずっと、興味があるから(あったから)だ。 そして、「今からもしれない」と改めて感じていて、自分の中で最終的に決定するのを待っていたら、わたしが決める前に事実開催中止が決まってしまった。


ここまで、昨日06/27に書いていた。
少しだけ書き足してupしようと思う(何となく区切り線を入れるのが今日はしっくり)。


今は違うということ。
単純に、そういうことだと思った。
または、必要ないこと。
そうも思った。
どちらでもあるし、どちらでもいいし、どちらでもなく、なんでもないのかもしれない。そしてそのどれでもよくて、でもなにかザラつきがあって、そのザラつきが何なのか or 何由来なのかを、少し感じてみている。

だいたい、今起こっていることの全ては、あるコンプレックス感情の複合体としてのcomplexに帰結していて、その真ん中にあるものは怒りではないか、と今のわたしは感じている。

直結しないものも、反転させたりねじれの位置から観察したりしてみれば、きっとプロセスを通してこの結びcomplexに辿り着くのだろうと思っている。この感覚は半分以上確信のようなものだ。

ゆっくり、じわじわと、時間をかけてわたしの中で首をもたげてきていた情熱(の水脈みたいなもの)が、ここへきてだいぶ河口付近まで(つまり顕在意識で認識できるところまで)連なってきている。あと少し、なのか、もうわかる、なのか。どっちにしても、そのあたりにいるのだと感じる。

自分の内側にある怒りcreativityの源泉をみること。
何度も何度もみてきたそれを、またさらに深くみる、みていくということ。
そのために全てが結ばれてきているのだとしたら、整ってきているのだとしたら、与えられていることに気付かせてもらっているのだとしたら。
もう、気付くしかないのだろうと思う。

おしまい。



2024/06/27(28) -2(153/366)

なんとなく、このシリーズの続きかな?と感じるのでリンクを貼っておくことにする。

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