夏の記憶と課題図書① 2024/06/20
最近またnoteを書いていなかった。書こうとすら思えない(自分がnoteを書くという行為自体がまるで他人事のようにすっぽりと頭から抜けている)日々が続いた。今ここにいるようでいない、感覚の中に浮遊する時間の中にいたといってもいい気がする。今ここにある素直な気持ち(あえて今はこの角度からの切り取りで表現したい)を書くと、気が付いたら個展は終わっていて、わたしはいつもの自分の部屋にいて、そしてぼーっとしていたという感じ。夢では無かったのだが夢だったような、遠い遠いあの日の記憶・・・みたいになっている。実際は僅か4日前まで、現実に自分に起こっていたことなのに。
そんな浮遊感の中、夏至前のヒリヒリする感覚…と書いたものの、例年には無いくらいのヒリヒリ感で、これは最早控えめに言ってビリビリではないかな?というくらいの皮膚感覚(という名の神経過敏)になっていて、恐らく肉体の体感も魂とか精神の体感もかつてこれ以上はなかったのではないかというくらいに剥き出しになっている気がして、本当にしんどい。カチカチ山に出てくる背中を火傷したたぬきがウサギに薬と言って塩水を塗られた的なエピソードがあると思うけどイメージとしてはそれが全身(外もウチも)で起こってるという感じ。言葉にしてみるとすごいことになっているな、わたし。
そんな中、つまり何を見てもヒリヒリする中、Xを開いていたらこんな投稿が目に入ってきた。
次いで、こんなポストも。
そして、だいたいすっぽり抜け落ちているわたし自身の夏の記憶が、夏というものに対する個人的見解とともにあれよあれよとものすごい解像度をもって目の前に現れた(海からなにかがざばーん!と上陸してくる感じ)。
で、出てきたものをポストしようとして、じゃあそこからうずうずと自分の中に形成されてきた夏という名前のcomplex(ここでいうcomplexはユング心理学に出てくる感情の複合体という意味←リンクご参照ください)がとりあえずそのまままるっと出てきたので(カッコが多くて恐縮ですが、ちなみにこれが上述の海からざばーん!の正体)、それを紐解くことになり、Xにスレッドととして投稿するにはあまりに長いぞということでこちらにお引越しして来た次第です。で、ここでそこまでのあらましと今こことその続きを書いている&書こうとしているなう、です。
4年生のときの課題図書「にじ色のがらすびん」と、6年生のときの課題図書「キツネ山の夏休み」が、わたしの中で特に記憶に残っている本で、たぶんその後も何回も読み直したんじゃないかと思うし、今の自分に繋がるものがたくさん詰まっているのではないかと思ってたりする。
というか、そもそもわたしは「夏」が嫌いなのだ。で、満を持して、それを紐解くnoteを書こうとしているのだと思っている。1度で紐解けるかは謎。
でも別に書き終わっても終わらなくてもよくて、ここにcomplexがあると気付いたことがまずはある種の到達点であり素晴らしいと思うので、まずは自分に拍手を送りたい。なぜなら、生まれてから40回目の夏を迎えるに当たって初めて、これまで無意識の海に溶けていたそれらのひとかたまりを見てみようという気持ちになったからで、そういう気持ちになったのは、そこが分離可能になったということだからで、分離可能になったということは、もう抱きしめられるということだからだ。
ということで、長くなるので分けることにする。
続きは次のnoteで。
2024/06/20 (145/366)
参考までに、2冊の本と課題図書の過去履歴を。
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