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Re:源泉 2024/05/18

源泉。
わたしにとってのそこは、世界の全てとつながっている透明なところ。

以前も紹介したのですが、また紹介したくなったのでわたしの大切な友人であるチャミちゃんのnoteを紹介します(有料マガジンです)。



ここから書くことは、チャミちゃんの言葉(たち)とは繋がっているようで繋がっていない、わたしがわたしのために、わたしのためだけに黙々と紡ぐ言葉(たち)。

わたしは昨日からまた言葉が書けなくなっていて、だから今日もnoteを書かないつもりだったというか、何を書こうか、何だったら書けるのか、右往左往、試行錯誤していた。絶望という名前の水たまりに少しつま先が触れたところで、チャミちゃんのこのnoteを読み直した。そしたら、なんだか言葉がかける気がした。わたしの中から、今書きたい言葉が出てくる気がした。

きっとわたしはとうめいなみず・・・・・・・(上述の世界の全てとつながっている透明なところ)のことを書きたくて、それはきっと源泉のことで、今日は、というか日々の中でずっと自分のそれに触れ続けていて、ここにいるけどここにいないでも確かにわたしはここに在るという感覚の中にとっぷりと浸っていて、だから言語が自分から分離できなくてnoteが書けなかったのだとわかった。感覚の中にひたひたに浸っているとき、感覚を言語化する必要はないからだ。

その場所は常にわたしとともにあって(もちろんこれを読んでくださるあなたにも)、濃淡や陰影を変えながら、シンクロ率を変えながら、といいつつ、それは事象として分離して分析してみた場合そういう表し方ができるというだけのことであって、そんなの度外視してしまえば常にともにある。これまで一瞬たりともともになかったことはないし、これからも一瞬たりともともにないことはないだろう。なぜなら、それはわたしではないような書き方をしているが何よりもわたし自身であるというか、わたしそのものだからである。

ただその場所にいること、その場所があること、その場所とともにあろうとすること、生きること、生きていること、足掻くこと、逆らうこと、そっぽむくこと、背を向けること、愛すること、許すこと、垣間見ること、本当は知っていること。それぞれの、そしてその全てのハザマで、わたし(たち)はいつも、今を生きているのだと思う。

たゆたいながら、地に足をつけながら。
それが、今ここにいて、わたしを生きる、生きているということだ。

おしまい。



2024/05/18 (133/366)

チャミちゃんのマガジンです。
オススメでしかありません。


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