やさしさの正体にはたどりつけないけれど。
子どもを産んでから、
人のやさしさに触れることが多くなったと感じる。
やさしさの連鎖
先日、こんなことがあった。
娘と2人で出掛けた帰り、
抱っこ紐の中で眠る娘を抱えて電車に乗り込んだ。
乗り込んだ車両は席が埋まっていたが、降りるまでほんの10分もかからず到着することもあり、まぁ空いていれば座ろうかなぐらいの気持ちだった。
乗り込んでわずか数秒のこと。
トントンと腕をたたかれ、ふと目をやるとそこには、さっと立ち上がる50代くらいのおばさま。
「ここ、座って?」と。
「あ、ありがとうございます!でも、大丈夫です^ ^」
反射的に遠慮してしまった私。
おばさまも「そう、でも…」と。
(ここで《しまった。せっかく譲ってくれたんだからありがたく座らせてもらえば良かった…!》と後悔。)
そして、このやりとりの最中、さらに立ちあがろうとする隣の60代くらいのおばさま。
この一瞬だけ、3人で譲り合いのような形になってしまった。
すると、さらにさらにその隣にいた10代らしき女の子がすっと何も言わずに立ち上がり、さささっと扉近くに移動してくれた。
一瞬のことできちんとお礼もできないままだったが、
さすがにここで、ありがたく座らせてもらうことにした。
一言に込められた想い
私の降りる駅の一つ手前で、おばさまは降りる様子だった。駅に到着する少し前に席を立ち、今度は席を譲ってくれた女の子にトントン、と。
「よかったら、座って」と席を指していた。
女の子もちょうど同じ駅で降りる様で「私もここで降りるんです」「あら、そうなのね」という会話が聞こえ、笑顔の2人。
駅に到着。2人に向かって、目を合わせてありがとうの気持ちを込めてぺこりとすることができた。
席を譲ってくれた女の子はもちろん、おばさまにも私は感謝した。
きっと、おばさまが女の子に話しかけていなかったら、女の子はこちらを見ることもなかっただろう。そうなると、私も2人へお礼の気持ちを伝える機会を作れなかっただろうと思う。
席を譲ってくれたやさしさも、
席を譲ろうとしてくれたやさしさも、
一言声を掛けてあげられるやさしさも、
全部ぜんぶ、ありがたいなぁと思ったし
純粋に嬉しかった。
あふれていたもの、
みえていなかったもの
正直言うと、様々なところから耳にするネガティブなニュースに、妊娠中はマタニティマークをつけるのが怖かったし、乳児を連れて電車に乗ることも怖かった。
なんなら結婚で地方から関東へ出てきた私は、東京は冷たい人たちばかりなんじゃないかと怯えていた。(ごめんなさい。)
でも、現実は。
人のやさしさで溢れていた。
思えば妊娠前だって、妊娠中だって、出産後だって、やさしくしてもらったことがたくさんあった。
子どもを産んでから
人のやさしさに触れることが多くなったんじゃない。
勝手な先入観に囚われて、
私自身がちゃんと見ていなかっただけだ。
やさしさの定義
やさしさって、人によって伝え方も受け取り方も違うだろうし、ましてや正解なんて無い。
結局のところ、何をやさしさと呼ぶのかわからないけど、人を想う気持ちって紛れもなくやさしさだと思う。
今度からは、やさしさを素直に受け取れる人になろう。
そして、私もやさしさを人に伝えられる人になろう。
そんなことを想ったひとつの日常。
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