ワンス・アポン・ア・タイム・インハリウッド 感想

[映画の内容に大きく触れています]

書いたことのざっくりしたまとめ。
①作り物だからこそ、夢や希望や願いを込められる。だからこそ儚くて美しい。
②ともかくディカプリオとブラピの顔が好き。
③フィクションの力、フィクションだからできることを強く感じた映画でした。

タランティーノ監督を最初に知ったのはキルビルでした。布袋寅泰のデーデーデッ!のあの曲、音ハメ、謎の寄り、アクション、トンチキ日本語…面白かったなー。映画館ですっかりやられてしまった私は監督の作品を遡るためレンタルビデオ屋に走りました。『レザボア・ドッグス』むおっ!『ジャッキー・ブラウン』むおっ!『パルプフィクション』むおっ!結果、ますますやられてしまったのはいい思い出です(私だけかもしれないんですけど、タランティーノ作品観終わったあとに強烈にジャンクフード食べたくなるのなんででしょうね?)
しかし、最近の作品では、ほとんどやられることがなくなりました。メッセージ性が強くなって、時代背景などの予習がより必要になってきたからかもしれないなとこれを書きながら思いました。『ヘイトフル・エイト』なんかは、観終わったあとにポカンとしてしまった(『ジャンゴ』はやられることができました) それに『キルビル』を観た当時の私は高校生。その頃に比べたら好みや考え方も変わったのかもしれません。
そして再びやってきたタランティーノ監督の新作の情報、どんな映画なのかなと思ったら、おいおいおい、ブラピとディカプリオが出るって言うじゃありませんか。やられるやられない抜きにしてこれは観に行かねばならぬ。あの、顔が好きなんですよ。ブラピとディカプリオの。特にディカプリオのですね、幼い頃の天使ような美少年の顔ではなくて、今の人生を噛み締めたような少しくたびれた感じの今の顔が好きなんですよ。太めのね(『ウルフオブウォール・ストリート好きです)あ、ブラピはどの年代でも顔が好きです(スパイゲーム好きです)
よし、観に行くことは決まった。では、今までの経験も踏まえて何か知っておいたほうがよいことはあるのかな?強烈なネタバレでなければ、あまり気にしないので調べてみる。……シャロン・テート事件。
ツイッタァで流れてくる感想のあちこちにもこの言葉。ぜひ調べてから観に行くのがよいとも書いてある。インターネットで映画のタイトル検索しても出てくる。どれどれと調べてみることにしました。
ざっくり言うと、ハリウッドのシャロンテートという女優さんとその友人たちがカルト信者に殺されてしまったという事件。犯人たちの動機、現場の状況、知れば知るほど、痛ましい事件(詳しいあらましはWikipediaに載っていたりする)映画の予告を見直してみると、あ、この子がシャロン・テートか。あ、これはもしかして事件のシーンでは分かってくる。あのね、シャロン・テート役のマーゴット・ロビーなんですけど、めっちゃくちゃ可愛いのね。めっちゃくちゃ可愛いんですよ。60年代の服が似合う似合う似合う。天真爛漫で誰からも愛されるといった感じでね、自分の出演した作品を映画館に観に行っちゃったりして、観客の反応見てニコニコしたりしてね、カーッ!可愛いかーっ!で、だからこそ事件を知っていると登場するたびに本当にハラハラしてくるんですよ。未来が、未来がそこまで迫ってきていると。
そのシャロン・テートのお隣に住んでいるのが本作の主人公のリック・ダルトン(ディカプリオ) なんですね。リックはテレビドラマのスターだったんですけど、今は落ち目で新しいスター達の引き立て役である悪役しかやらせてもらえない。そんな状況に精神的に参っちゃってて急に泣き出す男。そんなリックには長い付き合いの相棒がいて、それは専属スタントマンのクリフ・ブース(ブラピ) クリフは寡黙で正直で昔気質な男で、リックを励ましながら彼に尽くしている。二人の関係は作中でも言われてる通り兄弟以上夫婦未満の関係で信頼しあってるのが観ているだけでよーく分かる。あー、この二人もすごくよくてねえ、まず、ブースがめちゃくちゃいい奴なんですよ。リックを現場まで送って、短い言葉で(「お前はリック・ダルトン様だろ?」 「Rick f***in Dalton?」)しかし優しく励まして、リックの家のテレビのアンテナ直して、迎えに行って、その夜に一緒に出演ドラマを観るっていうね。普段はトレーラーハウスに住んで、マカロニにチーズぶっかけたようなジャンクフード食って、犬飼ってるっていうね。ブースお前!って思うシーンがいくつもある。ブース!ブースお前なあ!いい奴だなあ!って本当にいくつもいくつもあるんです。リックを家まで送ったら車すっ飛ばして帰るんですよ。煌びやかなネオンサインを抜けてね。絵になる男なんですよ。
じゃあそのリック・ファッ**・ダルトンはただの泣き虫野郎なのかっていうとそうなんですよ!いや、そうなんだけどそうじゃないんですよ!その日もね、いつもの悪役の仕事に行くわけですよ、前日に深酒しちゃってね、コンディションは最悪だし、しかもよくわからないような格好させられてね最悪ですよ。そしたらリック、台詞が飛んじゃってNG出しちゃう。大勢のスタッフの前で恥をかいて、控え室の車に戻って一人大暴れ。そのあとに大泣き。でもね、ここでリックは落ちていかないんですね。自分に向かって発破をかけるんですよ。何やってんだと、台詞忘れてんじゃねえぞと、前日に酒なんか飲んでバカかと。そして鏡に向かって言うんですよ。「俺はリック・ダルトン様だぞ!」と。別れ際、ブースがからかうように言った言葉を繰り返すわけです。さあ、自分と向き合ったぞとここからが正念場だぞと現場に戻ったリックは堂々と悪役を演じきるわけです。アドリブなんかも交えちゃったりして。現場大盛り上がり、監督大絶賛。リックはようやく今の自分が出来ること、今の自分に出来る演技を見つけるんですね。で、この現場に仕事人間みたいな子役がいて、この子との交流もすごくいいシーンなんですけど、その子から「今までの人生で最高の演技だったわ」って言われるんですよ。文字で見るとちょっと笑っちゃうんですけど、映画の大きな流れで見てるとジワーっときます。リックも泣き笑いみたいな表情を浮かべてね、嬉しそうなんですよ。これって一度死んだスターの復活ってわけじゃないんですよね。これまでの自分を受け入れたスターじゃなくなったリックがその先に進んでいく前進のシーンだなあと観ていて思いましたよ。こうして前進を始めたリックは、昔は(映画の冒頭で、イタリア映画に出たら?と言われるけれど、泣きながらブチ切れる)死ぬほど嫌っていたイタリア映画のオファーを受けることにするわけです。ここから一気に時が流れます。
イタリアで主演映画を4本ほど撮り、出演料を貰って、さらに結婚までしたリック。彼は人生の岐路に立って考えます。一花咲かせたけれどもこの先のことはわからない。貯金はいつまで持つのだろう?家族もできたし、きっと生活も変わるに違いない。リックはブースとの別れを決意します。ここもね!見てるこっちとしたらあっ…!揉めちゃう!って心配になるんですよ、でもね、ブースは「それがいい。いい決断だ」って言うんですよ。円満退社ですよ。リックも思ってることを正直に伝えていてね。悪かったなと思いましたよ。余計な心配だったみたいだなと。俺みたいな部外者が揉めないで!なんて、口出すことじゃなかったよなって。そして二人はアメリカに帰るんですよ。あ、ここ!当たり前だけど飛行機で帰るんですけどね、ブースはエコノミーなんですよ。ブースだけエコノミー。空港降りたらブースが荷物を押して、家帰る時もブースの運転。おい!ブース!お前、ちょっとすごいぞ!おい! で、2人はコンビとしての最後の夜を過ごすんですけど、その最後の夜がシャロン・テート事件当日というわけなんですよ。こんなの何も起こらないわけないじゃないですか。お隣さんなんですからね。案の定、カルト信者とリックが遭遇。その結果、彼らの標的はシャロン・テートからリック・ダルトンへと変わります。ここでこの映画は大きくフィクションへと舵を切るのです。完全にシャロン・テート事件から外れた物語、でも僕らは知っています、今夜この場所で何が起こるのかを。だからもう心臓がドッキドキですよ。ちょっと監督!ちょっとタラちゃん!どうしたんだよ!ここまで仲良くやってきたじゃないの?ここまで一緒に2人の男の関係を見守ってきたじゃないの?と泣いても遅い。酔っ払ったリックは裏庭のプールでご機嫌に歌ってる。奥さんは時差ボケで二階で寝てる。ブースは……ブースは一階のキッチンにいる。そこにナイフや銃を持った3人組が現れる。あー!ブース!あああー!
さて、この映画の監督であるクエンティン・タランティーノは激しい暴力描写が特徴でもあります。容赦なく顔がへっこんだり、手足がバラバラになったり、血が吹き出たりするんですよ。バイオレンス。それがね、ここで大爆発します、3人組に対して。それが物凄い衝撃で、いったん頭が空っぽになって、それからああそうだ、私はタランティーノの映画観に来てたんだわと再確認するような勢い。周りのお客さんの中にはかなりショックを受けてた人もいらっしゃいました。それほど容赦のない圧倒的なバイオレンス。それが過ぎ去ったあと、この物語にもいよいよエンディングがやってくるのです。静かな静かなエンディングが。
3人組を撃退したブースですが、自身も怪我を負ってしまいました。ひょっとすると、スタントマンの仕事に影響を与えるような傷になるかもしれない。救急車に運ばれるブースにリックは声をかけます。「お前はいい友達だよ」「努力してる」と笑うブース。去って行く救急車を見送るリック。さっきまで大騒ぎだったのに今はとても静かだ。そこへ騒ぎを聞きつけた男性がやってきて、リックに声をかけます。彼は隣人であるシャロン・テートの友人のようです。彼はなんとリック・ダルトンを知っていました。シャロンや彼はリックが主役だった頃のドラマも観ていたようです。さらにインターフォンからはシャロン・テートの声。心配した彼女はリックを自分の家へと招待します。「友達とパーティをやっているの。よかったら来ない?」それじゃあ少しだけとリックは初めて隣人の家へと足を踏み入れます。シャロン・テートとその友人たちと楽しそうに話すリック。そこへ浮かび上がるタイトル。あの、これ、すっごく切なくないですか?『once upon a time』ってね、日本語でいうところの「昔々〜」なんですよ。おとぎ話や昔話のはじまりで使われるあの「昔々」つまり『昔々ハリウッドで』なんですよ。スタッフロール流れてってね、この映画が終わった僕らが戻るのはリック・ダルトンもクリフ・ブースもいない世界でね、シャロン・テートも死んでしまった世界なんですよ。彼女も友人たちもいないんですよ。でもね、映画の中では生きてるんですよ。映画の中では事件は起きなかったんですよ。生き続けるんですよ。これ、すっごい切なくないですか!?今風に言うとね、エモいですよ。このラストシーンはエモエモのエモですよ。この映画は当たり前なんですけど、作り物なんですよね、創作でしかない。でもね、だからこそ願いや希望や夢がめちゃくちゃ詰まってるんですよ。それ故に儚くて美しいんですよ。これってひょっとしたら全ての創作に言えることかもしれないですね。そのバランスが難しいとも思います。フィクションの力、フィクションだからできることを強く感じた作品でした。あー、面白かった。

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