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SUGB 因果巡(6)

 赤子は巡と名付けられた。めぐる。その一語の意味は見てまわること、各地を見ること。空から降り立った赤子はきっと様々なものをこの世界で見ることになるだろう。どうかその旅路が良いものになるように、と二人の母が共に願いを込めた名前だった。それから諸々の手続きと多少の賄賂と少々の時間と家族や友人からの多大なる協力があり、巡は正式にシュリとディアナの息子になった。巡・マキシマ・ペールライト。それがこの世界での因果巡の名前だった。

 巡が成長するに従って、彼が声を発せないことが分かった。先天的な病や肉体的な障害のせいではない。万事健康である。体内には発声器官も存在する。しかし発せない。発さない。原因がないのだから医者に診せたところでどうしようもなかった。医師たちは一様に「心の問題ですね」と言った。「家庭環境に問題があるのでは」
 母二人の心配をよそに巡本人はまったく気にしてはいなかった。その代わりに、巡はよく見た。よく観察し、そしてよく学習した。巡は目が良かった。単純な視力の話(もちろん視力も良いのだがそれ)だけではない。口や手、些細な身体の動きから目の前の人物が何をするのか、したいのかを敏感に察した。空気の流れ、陽の光、雲の動き、鳥の羽ばたき、虫の動き。巡は本を読むように世界を読んだ。そんな巡の様子を見て、母たちはカウンセリングの予約や小難しい本を前のめりになって読むことをやめた。
 この世界には声を発する以外の方法で他人と、世界と関わる術が存在していた。テレパシーではない。その能力を獲得するのはもっとずっと先の話だ。それは手話と呼ばれる手や体の動きを用いる言語だった。試しにディアナが手話を教えると、巡はすぐにそれを覚え始めた。それは「目が良い」巡にはうってつけのコミュニケーションだった。指の動きが「楽しい」であり「空」であり「犬」であることが巡には興味深いようだった。シュリも一緒になって手話を学んだ(もっとも彼女は手話を用いなくても、勘のようなものでなんとなく巡の考えていることや言いたいことが分かったのだが)家にはたちまち言葉が溢れた。
 三人での暮らしは素晴らしいものだったが、母が二人という特殊な家庭環境と声を発することができないという事実は、この世界において異質な存在と見なされるのに十分すぎる材料だった。この世界はとても幼く強情で不寛容だからだ。母二人はそのことをよく知っていた。だからこそ全力でこの子を守ると二人は誓い合っていた。母たちは巡を心から愛していた。そしてそれは、因果巡も同じだった。

 拾い上げたボールを巡はじっと見つめた。
(本当なら掴めているはずだったのに)
グローブがはまったまま、手の表と裏とをくるくる返しながら眺める。
(精神だけが先に行っちゃってるんだな。身体が追い付いてないんだ)
 声を発さないだけで巡は多弁だった。彼の中には常に言葉が溢れていた。
(早くこの身体を動かせるようになりたいな)
「メグルー」「巡」
 母たちが呼んでいる。巡は振り返って、二人の母に手を振った。駆け足で戻る。戻りながら考える。
(母さんたちを守れるように強くならなくちゃな)
 因果巡は二人の母を愛していた。自分が二人の本当の息子ではないと聞かされたのは最近のことだが、それを聞く前から彼はすべてを知っていた。母たちには内緒にしているが、この星に落ちたところから彼はしっかり記憶している。誰が(生みの親以外にいないだろうが)何のために(最も簡単な理由は”いらなくなった”からだろう)この地球という星へ自分を落としたのかは分からない。しかしそれらは因果巡にとっては大したことではなかった。彼にとって重要なことは、二人の母が自分を拾い上げ育ててくれたことだった。あの日、名も無き球場で自分を支えた手。スターバックスの淡い光の下、覗き込む二人の笑顔を巡はハッキリと思い出すことができた。
(母さんたちが僕を守ってくれたように、僕が二人を守るんだ。何があっても。そう、何があってもだ)
 八歳にしてこの少年は、誰かのために命を懸ける覚悟ができている。因果巡。我らの因果巡。彼はボールをディアナへ投げるために構えた。しかしその瞬間、予感がする。頭上、いや、もっとずっと上のほうで何かが、何かというのは自分の運命にとって重要な何かが起こったような気がして、意識がすべてそちらの方へ集中した。手から力が抜けた。
「あ」
 ボールは想定していない方向へ飛んでいく。ディアナまで届かず、地に落ちて、ボテボテと跳ねて転がった。
「へたくそー」とシュリが笑っている。
「大丈夫。大丈夫よ。巡」とディアナが優しい声で言うのが聞こえる。
 巡は照れたように笑って、二人の母の方へと駆けていく。先ほどの予感のことは忘れている。

因果巡の頭上、七五二八〇〇〇〇キロメートル。
‐火星‐
太陽系第四惑星。軍神。砂の星。赤い惑星


 三人の宇宙飛行士を乗せた探査車(ローバー)が火星の大地を駆けていく。火星はどこまでも赤く灼けている。ローバーの分厚いタイヤが火星の表面を覆う赤褐色の酸化鉄を巻き上げた。
 この次元の人類は火星に到達している。未知への興味がその原動力であり、探査と開発が主目的だ。地球から垂直に飛び立った宇宙船は四年をかけて火星にたどり着く。今現在、地球外への進出を阻む障害はない。そして、地球以外に生命体が観測できる惑星は今現在発見されていない。
 眼前に虹色の蜃気楼が揺らめいているのが見えた。地球にある管制塔からの指示に従い、三人の宇宙飛行士はローバーを降りた。ここからは徒歩で向かう。宇宙飛行士たちの身体は分厚い宇宙服にすっぽりと覆われている。ヘルメットで表情は読めないが全員が緊張した面持ちでいる。

 きっかけは数日前の大砂嵐だった。火星において砂嵐自体は珍しいことではない。地球よりも気圧が低い火星では嵐が起きやすく、それは砂粒と酸化鉄が舞い上げて巨大な砂嵐となる。しかし、今回の嵐が運んできたものは砂粒と酸化鉄だけではなかった。砂嵐が去った後、まず火星のとある地点から異常な磁場が観測された。直後、その地点から窒素が噴出、さらに続いて酸素も発生した。異常は続いた。探査基地近くに青々とした何らかの植物の葉が漂着したか(ネネリスの葉だ。チャレーを作るときの隠し味に使う)と思えば、続けて見たこともないスナックの袋(マッスルハッスルポテト。自分がマッチョになったと思い込む幻覚作用が見られたために現在は販売中止になった)まで流されてきた。(あと口笛も聞こえた)そう、口笛も聞こえてきた。異常。圧倒的なまでの異常が火星で起こっていた。
 報告を受けた地球の管制塔はすぐに厳戒態勢に入った。異常はすべて火星の”ある地点”から起こっているのは明らかだった。人類はいまだかつて地球外の生命体と遭遇したことがない。地球と火星とその両方で会議に会議を重ね、次の嵐が来る前に”ある地点”「アノマリー・ポイント」へ少数精鋭のチームを送ることが決定した。

 アノマリー・ポイントに近づいていくと同時に急に無線がクリアに聞こえるようになっていった。そして、火星の宇宙飛行士たちは確かに人々の歓声を聞いた。まっさらな自分たち以外誰も存在しない死の大地で。ああ懐かしき熱狂の声だ。やがてその声は地球にも伝播した。
 アノマリー・ポイント到達。
 その周辺に異常はない。人影もなければ奇妙な構造物も宇宙船もなかった。ただ、赤褐色の大地に何かが突き刺さっていた。2.5インチ×3.5インチの長方形。なあ、誰かこの形に見覚えがないか?
「ベースボールカードじゃないか?」(そうだよ!)
 宇宙飛行士の中の一人が気づいた。いいセンスだ。きっと彼はベースボールが好きなんだろう。この次元にもベースボールはある。SUPERでもULTRAでもGREATでもないが。
 それは確かにベースボールカードだ。とてつもなくクールなベースボールカードだ。そのカードには魂がある。よく見てくれ、褐色の肌のスマートな選手がバッターボックスで作り出した美しいスイングの瞬間を生き生きと切り取っているじゃないか。惚れ惚れするよ。
 三人の宇宙飛行士が魅了されたようにベースボールカードへ近づいていく。彼らの眼とヘルメットに付属したカメラがカードをハッキリと捉える。初めのうちはカードに何も描かれていないように見える。しかし段々と黒い線が浮かび上がり、やがてそれは変化する。その場にいる誰もがそれを言葉として理解するのに時間はかからなかった。当然だよ。SUGBCは全宇宙全次元すべての言語に対応しているからね。
 誰かがカードを手に取る。そして読み上げる。それが宇宙飛行士か管制官か、その両方か。それはたいして重要じゃない。重要なことは、この次元にもついに、偉大なるSUGB(スーパーウルトラグレートベースボーラー)の名が届いたという事実だ。さあ、言ってくれ。その名を言ってくれ。

「コ・ロ・バモ」

歓声が大きくなる。甦る熱狂。 

(つづく)

SUGBR(スーパーウルトラグレートベースボール規則)
 SUGBに関わる用品、物品、雑貨が一つでも存在する次元は
無条件でSUGBの管理下に置く





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