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[連載物] ダブルピン〜その3

 さて話を電車の中に戻そう。自分の目の前にいるこの女性の前髪についているダブルピンは「外し忘れ」なのかどうかである。意図的なのか、偶発的なことなのか。彼女の気持ちになって考えてみた。

 朝起きて、コーヒーを入れる。卵を焼いている時間はなさそうだからトーストにバターを塗って頬張る。時計を見る。そろそろ化粧をしなければいけない。鏡を見ると生え際のクセのせいなのか、寝癖のせいなのか前髪が浮いている。1週間前に美容室にいって久しぶりに作った前髪は思うようにいかないというのがちょっとした悩みだった。ふと思いついたかのように洗面台におもむろにおいてあったダブルピンを前髪につける。化粧を終えもう家をでなければいけない時間、トーストの食べかけをあとにし飛び出すように家を出た。というのは自分の妄想の話である。

 
 妄想していると頭の中で勝手に裁判が始まってしまった。

 この妄想から仮定するに検察側の主張は「外し忘れ」である。ただの妄想から仮定する検察というのも、なんとも適当な検察だ。次にこれはあくまでも意図的につけているという弁護側の主張を聞いてみる。弁護側の主張は、前髪を作り浮いてしまうので会社に行くまではどうしてもつけておきたいということだ。これは、電車の中で立った状態であれ会社につくまではメイクを終わらせるということと同じ状況なのだと。両者の意見はどちらも正当性があり現代の一般的な常識の中では考えられることだった。専門家である美容師もこの場で証言している。一つ疑問なのは、前髪のダブルピンの付け方だ。仮に前髪のボリュームダウンを目的としたピンなのであれば、もっと根本付近までしっかりと抑え込むように付けていないと意味を成さないということ。その女性の前髪の表面にただつけられている状態であった。

 スマホに飽きたのか、窓の外を見つめる女性。当然凝視できない自分はたまにチラッと見るくらいしかできない。恵比寿駅から渋谷駅への途中、ガード下を抜ける瞬間がくる。その瞬間、電車内が外よりも明るくなるので窓が鏡の役割を果たす。毎日使う通勤路ということもありそのことを予測した自分はその瞬間を待ち望み、彼女をみた。その1.5秒間、確実に窓に映る自分を見ていた。ハッとした表情を期待していたが、それは裏切られた。彼女は何事もないように手にしていたスマホに目を向ける。

つづく


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