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起こり得る未来

子供から大学生の間は普通の学生生活を過ごした。いつも独りぼっちで過ごす。友達なんていない。いてもみんな疎遠になった。そのくらいの親密度の友達。はたしてそれを人は友達と呼ぶのかそうでないのかは自分にはわからなかったが、自分は彼女らの事を知人ではなく友達と呼ぶことにした。毎日物語を見たり読んだり買い物をして授業をテキトーに受けて過ごしていたけど気分は最悪で何も楽しくないただただつまらない日々が無性に過ぎて行った。
やりたいことなんて特になくてテキトーに履歴書書いてエントリーシート書いてたらたまたま大手の携帯会社で書類審査に合格したから面接行ったらたまたま合格した。
仕事は面白くなかったけどやることやっておけば生きるためのお金が十分にもらえたからそれでいいかと思い淡々とこなすことにした。もう意味とか考えても仕方ないのだ。自分には誇れる才能も能力もルックスも持ち合わせていないから何かを高望みできるような存在でもなくしても得られるような人間でもなく何かを追い求めたとしてもその気持ちは最初始めた時の気持ちと違うからいつの間にか諦めているということがほとんどだった。別に諦めたことに対して何の悔恨の情も抱くことは無くそんなことが何回も続くものだからもう挑戦するのを止めようという結論に至ったのは至極当然なことだった。そんなわけで私はただただ日常を消費する生活に入った。
何で生きてるんだろう?と今まで何回も思ったけどそんなこと考えても時間の無駄だから考えないようにジャム瓶の蓋をするみたいにぎちっと蓋をして念入りにひねって何も考えないようにしてきた。
なのに
だのに
定期健診から一週間経った後、再診の通知が来てその後がんと診断された。一応聞いた余命はあと1年もつかどうか。いろんなところに転移していてもう防ぎようがないらしい。治療、つまりがんと闘うことを選べば余命が伸びるかもしれないということだったが、私はもう何年も前からこの世に生きる意味を見出していなかったので治療はしないことにした。
「世の中はいつだって不公平だ」
病院から帰る夜道、一人つぶやいてみたが声を出すとともに吹いた風にその声はかき消されてしまった。
彼氏もできたことないのに誰ともまだ肉体的関係を結んだこと無いのにこのまま処女で死ぬのはなんだか不公平な気がしないでもなかった。いつまでも自分は画面の向こう側に行けなくてただただ画面を眺める存在でしかいられないのだということに何度も気付かされる。でもこれでいいのだ。もうこれで終わりにしよう。大体30年も生きた。もう十分だ。私は誰のことも幸せにできずにただただ存在したことによって他人を傷つけることしかできなくて誰の役にも立てなくて不細工できもくてかわいくなくて死んだ方がましな人間なんだ。そんな愚痴を誰かにこぼすと多分みんなは決まってそんなことないよとかいうのだろうけどそんなの傷のなめ合いでしかなくて。
家族に話したら親は泣いた。そんな親を見たら「生まれなきゃよかった」「やっと死ねるよ」とは言いづらくて言ったらもっと悲しませることになるんだろうなと思ったから言わなかった。
世の中のほとんどの人間はたいしたことない。たぶん9割かそんくらい。たいしたことないことをして満足してたいしたことないコミュニティをつくって入って満足してたいしたことない仕事をしてたいしたことない生活をして、きっとそこに優劣は無くてあるとするならそれらは全部くだらなくて。本当にたいしたことあるなら多分その時代にたいしたことあるとは認められないのだと思う。100年後か1000年後にたいしたことあると認められるものが本当に大したことがあるのだと思う。だから今の世の中のほとんどはたいしたことない人間ばかりなのだと思う。これは物事や人間を矮小して見ているわけでもそれを軽蔑するわけでもなく事実なのだ。どんなに輝かしい功績を残したとしてもどんなにお金持ちになってもそれが本当にくだらなくないなら評価されるのはずっと後のことですぐに認められるようなものなんてすぐに当たり前になって何の感慨もなく消費されてそれが前提の世界になる。勿論私もたいしたことない世の中の9割の何のとりえもない人間でもうすぐ死ぬ。悔いはないといったら嘘になる。コミックでありがちな展開で現実感を伴って性欲を満たしてみたかったしもっと興の湧くような人生を歩んでみたかったとも思う。でもおそらく私にその人生は歩めないようになっていたのだろう。私は主人公でもなければ脇役でもないなんでもない虚無的な存在で誰の物語にいることも入ることも見ることも許されないようなそんな存在。故に私はずっと一人だった。どうせ人間は死ぬのだからといってもやはり死ぬのは怖いから死ぬ前にいっそのこと自分で死んでしまおうかとも考えるけれどそんな勇気は私にはないことをすぐに悟り今まで通り何となく過ごして危なくなったら救急車を呼ぼうと思う。果たして救急車を一度も読んだことのない私が救急車を呼べるのかどうかは分からないが勇気を出して1を二回、9を一回押せるようにイメージトレーニングを寝る前にしてあれ、0120とかいらないのかなとか思ってしまうと思うけれどなんとか頑張って練習したい。

そんなこんなで気付いた。
私はずっと退屈だったんだ。何も特別な存在ではないのだから。
ずっとすべてがどうでもよかったんだ。
私は人間嫌いの人間。


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