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夢:空想と理想の入り混じったレテリジェンス !

いつに間にか今回の記事で100本目の投稿となっていた。飽きっぽい私がこの44日間、投稿を続けられたなんてちょっと信じられない。でも考えてみれば「書く」ことは昔から好きだったのかなって思う。正確に言うなら「言いたいことを書きまくる」ってことが好きなのかな。

100本目だから何やねん。っておもったけど、まぁ人間は大概10進法の下に生きてますから。そういう意味で一つの指標ってことで100本目は記念すべき本数ってことでいいと思うんだ。
これがもし2進法だったら4本目が「100₍₂₎本目」ってなるわけだから記念すべき時は4本目を更新した時ってわけだ。4本なんてすぐに更新できるぜって思うけどそれは私たちが10十進法の下で暮らしているからそう思うだけなのかもね。
まぁ、とにかくだ。1つの記事で平均して約1000文字くらい。それが100本だからこれまでに10万文字ほど書いたってわけだ。思ったよりあんまり書いてかったけどここまで来た自分に酔いしれようではないか。

じゃ、本題。『将来の夢は思想家か夢想人』とか謳っておきながら、自分の夢を語ってなかったなぁと思って、じゃあせっかくだからおよそ区切りのいいこの回で発信しようかなと腰を上げたわけなのさ。

ここでの夢の定義はタイトルの通り。
夢:空想と理想の入り混じったレテリジェンス(レテリジェンスってのは要は相対的な世界のことね)
まぁこう定義はしたものの一般的に使われる将来の夢って思ってもらってもそこまでずれはないと思う。

①夢:誰も悲しみすぎない社会を創る

最近さぁ、なんか矢印(⤴)の傾向が強くなってきてるって感じてるのは私だけかな?多くの人はそれが螺旋的な矢印であることに気付いてないわけだけど。つまり「損得でやるかやらないか」とか「成長できるかそうでないかで物事を決める」っていうこの有益性が基準になることが多くなってきている気がするんだ。
あとは時間だね。「90分でできる!」とか「3分○○」とか。うーん。なんだろうな。制限時間を設けることは別に悪くないと思うんだけどそれが前提として強調されすぎてて「義務」でやらなきゃいけなくなってる気がする。
注目したいのは損得とか成長とか意味ってところだよね。この考え方に拘泥すると失敗っていうものを「人生の失敗」とかってとらえて過度に落ち込んじゃったりすると思うんだ。周りに「失敗」のレッテルを貼られることも当然のようにあるわけだよね。
それで、何かあったときに落ち込むことはまぁいいというか。「それもよいでしょう」という風にしか思えないんだけど、「過剰に落ち込む」ってのが見過ごせないところだなって常々思うんだよね。
この「過剰に落ち込む」ケースでの最悪な結果は自殺。(最悪なのかどうかは人それぞれかもしれないけど)またの機会に自殺についてはしっかり論じるつもりだけど、やっぱ自殺って単純にもったいないよなぁって思う。だってさ、全然まだ見てないよね。見ようとすらしてないでしょって思う。これは後でも述べるけど、深刻な顔つきせずにヘラヘラ笑って満足して(およそ理性を維持した状態で)自殺するっていうのならそれは善いことだと思うんだけど。うーん。私のゴールは死ぬときに「まぁ悪くなかったな」と思って死ぬことだから、やっぱり①の夢は叶えていきたいと思うんだよね。




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