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ぼくのかんさつ日記 1日目 

1日目

今日から日記をつけることにした。植物観察の日記を。なぜそのような心境に至ったのかと問われると少し困る。ボケ防止のためだともいえるし、なにより私は日記をつけることが大好きだからだという理由もあるだろう。
加えてこの老い先短い人生。独り身になった私のよりどころと言えば、あの施設くらいしかない。だから人生最後と思い、一念発起。この植物を育てようと思った。さあ種を蒔いて新たな命を吹き込もう。そうだ、蒔いたら水をやらなきゃな。
そうして一通り水をやり終えると、私はこんなことを日記に記した。

歳をとると、人間誰しも何かをこの世界に残したがるものだ。その1つの手段として育てるという手段がある。この1日目の日記では育てることについて書いてみようかと思うのである。かくいう私もこれまでに様々な人に育てられ、様々な人を育ててきた。
この育てるという行為には嫌でも時間というのが付きまとう。しかし私は若かりしとき、あえて時間のことを気にせず、たっぷり時間をかけて人なり植物なりを育てることを意識してきた。これは持論だが、殊人に関しては、短い時間で育てられた人間と長い時間をかけて育てられた人間とでは深みが全く変わる。浅い人間。深みのある人間。これは誰に、何に育てられたのか。どんなことを育てられた者が考えたのかが大きく影響する。

また、何かを残すための他の手段として教えるということが挙げられる。これは育てることと似て非なるものである。教えることで人は自らの内にある思想や価値観を人に伝えようとする。私が思うにここで重要なことは教えるに値するような事物を教える本人が有しているかどうかということである。つまり教える人間には深みが必要と言うことである。浅い人間が何かを教えるよりも深い人間が何かを教えたほうがそこでの情報量に天と地の差が出るという訳だ。

さて1日目はこのへんにしておこうかね。
さて、植物と私。この先どちらが長く生きられるだろうか。

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