自分の軸があると。
第2回音楽の企画。岡嶋さんはとても笑顔が素敵な人で、「真顔でいられない」と言っているのを聞いて、本当に楽しいってこういうことなのかな、と思ったりした。
病院で出会った男の子が、自分の気持ちを安心して吐き出したり自分がやりたいこと選びたいことを素直に選べていなかった。彼の能力の問題ではなく、周りの大人の知識不足(障がいに対する知識)だったり受け入れる(いざというとき命を守る)体制がなかったから。
確かに、「私がやりたい、楽しい」という発端ではない。大きなお世話かもしれない。でも、そういう子が泣いているところは見たくない、私の周りでそういう思いをする子がいないといいなと思う。それは私がつらいから。
それにもう少し、自分に向き合ってみれば、子どもの時私にもそういう心から安心できる、なんでも話せる居場所が欲しかったと思う。
今回、3つ選ぶことがとても難しかった。
他の企画生が考えた企画が、どれもいつ実現してもおかしくないくらいの企画ばかりだったから。私はというと、迷走しまくった結果、感想文のようなものになっていた。視点が違う、考え方が違うことを痛感した。それはわかったけれど、まだ企画がなにか私にはわからない。
阿部さんの講義で、「選ばれるためには選ぶ」という言葉があった。言葉通りに受け取っていたけれど、今回選ぶのに困ったとき、その言葉の意味に納得できた。
選ぶとき、何を基準に選べばいいのかわからなかったからだ。
「いいな」と思うことはたくさんあっても、「これ」と決めることがなかなかできなかった。正解が、基準がわからない。
「これだ!」と選ぶためには、自分自身の基準・軸がないと難しいということだ。
私が今ままで自分の歩く道を決められていたのは、自分の居場所つくりのためにどうしたらいいか、何をしたらいいかという軸があった。
でも、私自身のことは蚊帳の外だった。別に自分が嫌いなことややりたくないことだったとしても、その軸に沿うなら頑張ってやってきたと思う。
よく問われる「何がしたいか」に私はうまく答えられない。
今、自分の物語をつくるために、自分自身の軸を作れたら、もう少し世界が広がるのかもしれない。
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