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予約した『黄色い家』が回ってくるのがずっと先なので、『乳と卵』から読んでみた。

川上未映子氏のTwitter(※私は意地でもあの黒いアイコンのアプリをTwitterと言い続ける)アカウントは、既にフォローしていた。
こんなこと言っていいのか分からないけれど、綺麗なお顔の方なので(…)。
著作を読んだことが無いけれど、あの美しきアイコンがたまーに自分のタイムラインに上がってくるのが、私の疲れた眼に丁度いいのである。

あるとき『黄色い家』がTwitterでとても話題になったので、読んでみたいなと思って仙台市図書館のサイトで検索してみると、待ち人数がえげつない。確か200人近くいた気がする。
それでもどうしてもあの、青と黄色の表紙の本が読んでみたくて、「生きてる間に読めればいいな~」と軽い気持ちでネットから予約操作をした。
いま改めて画面を確認すると、123番目みたい。3か月くらいの間でここまで進むとは思っていなかったけれど、先はまだまだ長そう。
それでも、私は、「片付けが非常に苦手」だけど「欲しいものは手元に置きたくなってしまう超物質主義」という自分の特性から目を逸らさず向き合って、「片付け~」の方はどうにも曲げられないため「欲しいものは~」の方の自分とおさらばする方を選択した数年前から、本は基本は「借りて読む」ことにしているため(※作家さんには本当に申し訳ない選択をしていることは重々承知です…)、じっと待っている。

直近で図書館を訪れたとき、いつもの『ジャケ借り』をするために、文学棚の合間をうろうろしていたら、川上さんの本が普通に棚にあるじゃないですか。
タイトルのフォントが気に入った『乳と卵』を借りて帰ることにした。

私は本を読むのに本当に本当に時間がかかる質で、なのにこんな、文章をたくさん読まなければならない仕事を個人でやっている難儀な奴なのですが、それは置いておいて。
だから、読みたくて借りてきた本も、おいそれと気軽に開くわけにはいかんのです。
本を読むのに時間がかかる奴というのは、ただ読むだけでも時間がかかるうえに、少しずつ少しずつ隙間時間に読み進めるということができない奴でもあるのです。
間の時間を置けば置くだけ、栞のはさまった場所からではなく、数ページ後ずさりして助走をつけないと、「読む」ことが始められないのです。「読む」ことは、私にとっては「跳躍」と同じくらい難儀。
だから、その「跳躍」の負担を減らすためには、「跳躍」をしないで、つまり、最初から最後までぶっちぎりで読める時間と気力が揃ったタイミングを見つけてその瞬間に、開かなくてはならないんですね、表紙を。

ぱっと見の『乳と卵』の単行本は、私にはそのぶっちぎりにかかる時間は、8時間くらいかな、と見えたんです。厚さとフォントサイズ等から。
けれどね、ありきたりな表現ですが、開いてみたらスルスルと読めた。
不思議なのだけれど。
不思議っていうのは、もう、読み始めた最初のページからもう、文体が独特すぎるのと慣れない関西弁から受けた「とっつきにくい」という感覚を上回って、「読ませる何か」があったからスルスル読めたのだろうけれど、その何かが未だに分からないから、不思議としか言いようが無いので。

主要登場人物の母子がいて、シングルマザーと娘なのだけれど、おそらく私とうちの娘と同じくらいの年齢設定で。
この母子ほどの苦境に立っているわけでは決してないのだけれど、うちだって細かいことではだいぶ、すれ違いや対立が発生するような、そういう年ごろなので。
その母子に加えて語り手の「母の妹」(=娘から見たら叔母)も年齢や性別、仕事のしかたももしかしたら近い属性なのかもしれない、私と。
だいぶ、この3人がそれぞれ、どんなこと考えているのか、とずっと考えながら、どんどん読んでいったらトータル3時間くらい。
私が普段考える「読書時間」の8分の3で読めてしまったって、かなりすごいこと。

だいぶあからさまでえげつない描写(性的な話ではなくて、女性性的な意味で)が容赦なくガンガン出てくるけれども、これ、女性は、うんうん、と思って読み進めるけれど、男性が読んだら、どういう気持ちで読み通すのだろうか。
でも、こんなに、うんうん、と思って読んだこれらのことを、言語にして出版されているなんて想像もしていなかったので、なんだかとても「読んでよかった」と思ってしまった。

表題作はまあ、そういう感想なのだけれど、この単行本には最後の数十ページにもうひとつ、短編が入っているんですね。
これがもう、難解にして、後味が悪すぎた。私には。
本として、『乳と卵』だけで1冊になっていて、あの終わり方で最後のページが終わっていたら、そして、「第138回芥川賞受賞」という裏表紙に遠慮なしに仙台市図書館によって貼り付けられたテプラを眺めて、ああなんだかいい本だったな、で終わったはずなんです。はずなんです。
なのに!なんで!あの数十ページが!割り込んできた?
というざわつきが、今も少しだけ残っている、のが引き出されてくる、赤と白の表紙を見るたびに。

ざわざわしすぎてタイトルを打つのも気が引けるあの短編、ほんとうにざわざわするのだけれど、
これが『乳と卵』の「後に」割り込まされていて、『乳と卵』の単行本を完成させられている、というところを無視できず、その部分だけ大きくなって、私の中の「川上未映子像」が完成してしまった。
プラスでもマイナスでもない、感情的な話ではなく、「ああ、川上さんってこういう人なのね」という感想でもって完成してしまったの、「川上未映子像」。

あと123人待ち。『黄色い家』が手元に来る日が楽しみ。

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