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連載小説「電話」 第3回

吉本とは大学の授業で一緒になり、ノートを貸し借りするうちに親しくなった。
経済学部の学生で自分ではプレイボーイを気取っていた。ちょっと親しい女の子を見かけると誰にでもすぐに「今時間ある?ホテル行かへん?」と声をかけるのが癖で、そのことで露骨に嫌がられたりもするくせに、その癖をやめない。
軽佻浮薄を絵に描いたような言動の影でときどき垣間見える生真面目さを私は見逃さなかったけれど、きっと本人が嫌がるのがわかっていたから、軽佻浮薄を適度にバカにし、適度に楽しむふりですごしていた。
私にも義理なのか義務と思っているのか同じように誘い、私は彼のそういう癖は対人関係における単なる照れ隠しの一つなのだろうと思え、けれどそれを指摘するほどには吉本と近づくことに躊躇もあった。
「ホテル行かへん?」と誘う吉本に「あほちゃうん」と笑いながら反応していたのは、眉をひそめて無視する女の子たちの反応のほうが私には恥じらいのない態度のように思えていたからだ。ひょっとしたら吉本も、それが私の照れ隠しの一つであることに気付いていたのかもしれない。けれど、吉本と私は一度も率直に、あるいはしんみりとお互いの心情を吐露し合うということもなく、照れ隠しというベールを通してお互いの距離を測り合うその距離感が快くもあったのか、卒業まで同じ親しさとよそよそしさで付き合いは続いた。吉本が私のことをちっとも本気でホテルに誘っていないことはお互い了解済みで、それでも会うたびに、「ホテル行こか」、「あほちゃう」と言い合うのが二人の間ののどかな挨拶みたいになっていた。
 受話器の向こうの吉本の声からあのころの吉本を思い起こし、そこから今の吉本を想像しようとしてうまくできかねているうちに吉本の声が続く。
「どうしたんや。まだ生きてたんやな」
「うん。生きてるよ。吉本君も生きてたんや」
「うん。なんとかな」
プレイボーイぶっても、根が妙に真面目でそしてやさしい男であることを私は知っている。最後にあった日から15年以上、電話一本、はがき一枚のやり取りもなかった。私は、この男に聞いて欲しいことがあって、唐突に15年ぶりに電話をかけている。電話番号が変わっていたらもう二度と繋がらないそんな相手に何を聞いてもらいたいと思い立ったのか。なぜ、聞いてもらいたいと思いついた相手が吉本だったのか。短い会話を交わして、私は自分の選択が間違っていなかったと思った。
吉本に聞いてもらいたい、と思った。
「聞いて欲しいことがあるの。できれば助言というか、感想というか、も欲しいの」
「長い話か?」
「うん、そこそこ」
「ほんなら、別の時間でもええか?今から娘の塾のお迎え行かなあかんねん」
「うん、それでいい。この電話にまだ居るのが分かっただけでいい。いつ掛けたらええ?」
 吉本は携帯電話の番号を教えてくれた。次の土曜日の2時にかけてこい、と言ってあっさり電話は切れた。

第4回(https://note.com/nobanashi55/n/n31e117d47949)へつづく

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