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連載小説 「電話」 第4回
教職課程の教育心理学という授業で、空席がたくさんあるのに私の隣に座って、いきなり、先週のノートある?と聞いてきたのがきっかけだった。 その授業は出欠も取らないし単位も取りやすいという評判で、履修登録している学生は多いのだろうがいつも講義室は閑散としていた。私はその前の授業には絶対出たかったので、ついでに出席の習慣がついて教育心理もほぼ皆勤状態。せっかくだから熱心に聞いている授業だった。
大学の授業というのは熱心に聞けば面白いものなのだ。けれど受験勉強から解放されたばかりの大学生にはその時間に優先したい面白いことがほかにあるような気がして、青春の貴重な時間に講義室に座っている暇はないというのが概ねあの時代の我々の正直な心情だった。今から振り返ってみれば、授業をさぼってしていたはずの面白いことは、その記憶のかけらも残っていない。
その突然のぶしつけな男子学生の問いかけに、私は何もいわずにノートを見せて、「終わってからでかまへんやろ」とちょっと迷惑そうな顔をして見せた。「あぁ、有難い。隣に座ってていい?」とまったくこっちの迷惑顔に頓着しない様子で聞いてくるのが、返って最初の悪い印象を覆した。こういう態度は他人の思惑に鈍感なだけではできないことだろうと思えたのだ。
隣に座った途端吉本は授業に聞き入り、熱心にノートを取っていた。その彼のノートを覗き込むと意外なほど几帳面な文字で埋められていた。
授業が終わって地下の大学生協の購買部へ降りてコピーサービスのコーナーまでいっしょに行き、ノートのコピーが終わるまで待って、その後カフェテリアでコーヒーを奢ってもらった。
名前なに?なんてなれなれしい聞き方をして不快がらせないのは持ち味なのか、吉本は自分のキャラクターを使いこなせている、世渡り上手な奴、という印象で、今までの私の交友関係には見当たらないタイプの人間だった。
私が名乗ると、「カーコって呼ぶわな」と無邪気に笑い、「僕は吉本サトル、どう呼びたい?」と聞くので、私はペースを乱されて乗せられるバカな女にはなりたくない、という意識が働いて、「吉本君と呼ばせてもらう」とそっけなく答えた。「文学部?」と聞くので「違う」と言ったら「なぁぁんや産社(産業社会学部)か」と言うのでちょっとむっとして、「経済かも知れへんやん」と言ったら「僕、経済学部やもん。経済の女のことは一人残らず知ってる」と自慢でもなさそうに当然のことのように言った。
その前年、京都の市街地にある本学キャンパスから文学部が郊外の、私たちが通うキャンパスに移転してきていた。それまでは経済学部と産業社会学部と工学部だけだったそのキャンパスは女子学生の数が倍増してにわかに華やかになり、男子学生たちは、文学部の女の子たちに取り入ることに躍起になっていた。
同じ学部の男子でさえ、「『空科』読んでる女より、そら『源氏』読んでる女の方がええわ」などと公言してはばからなかった。「空科」というのは、私たちの学部に入った学生がまず最初に購読を義務付けられるエンゲルスの「空想から科学へ」という、社会学を学ぶ学生のための入門パンフレットのような古典書のことだ。
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