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連載小説 「電話」 第5回

 吉本とは次の週のその授業でまた会って、飲みに誘われて、セックスフレンドにならへん?と持ちかけられ、あほちゃうん、と私が笑って聞き流し、吉本もなぜかすごく笑って、会うたびに、「ホテル行こか」、「あほちゃうん」が挨拶代わりの関係になった。
 そのまま卒業まで同じ距離にいるボーイフレンドだった。お互いが全く恋愛の対象にならないヤツと認め合いつつ、同性の友人とは違う不思議な距離感のある関係をお互いが快く思っていたのだろう。ある時は同性の友人よりも率直な態度を見せてくれたり、あるいは異性の不気味さを垣間見せられることもまたあのころの私には新鮮だった。
 学部の違う吉本とは教職課程の授業のほか、大食堂で偶然顔を合わせる程度だったが、そのたびに彼は違う女の子を連れていた。一度食堂の片隅で吉本と新顔の女の子が深刻そうに話しこむ姿を見たこともあった。あるいは人づてに吉本の異性関係で良からぬ噂を耳にしたこともあった。またあるいは、吉本と親しげに口をきく私を心配してくれる女友達もいたりした。もちろん、私は吉本のどれ程も知っているつもりはなかったが、ただ、私が知っているごく一部分の彼だけで、私には十分であり、その他の面を知りたいとも知る必要があるとも思えなかった。私には吉本は軽佻浮薄なプレイボーイを演じる生真面目な男にしか見えなかったから。
 卒業式の日、スーツ姿の彼にすれ違ったとき、吉本は、「来年もう一回挑戦するねん」と言った。前年の教員採用試験に落ち、私企業への就職を決めていた。大手の電機メーカーだし満足しているのかと思っていた。先生というより営業マンに向いてそうだし。でも吉本は、中学校の先生になりたいねん、といつか私に珍しく本音を吐いたときの気持ちを捨ててはいなかったのだろう。私は教職課程は取っていたものの教師を本気で目差していた訳ではないので、何となくまぶしくその後姿を見送った。
 そのとき私には恋人がいた。三回生でゼミが始まり、最初の授業で自己紹介をしあったときに、私は理想の男を見つけた、と思った。大衆文化論というそのゼミには映画やテレビのシナリオライター志望の学生が何人かいた。理想の男というのは、自分で劇団を主宰し、本を書き、演じている男だった。 ルックスも私好みで、一目見て、キャー、と心で叫んだ。
 コンパで私は積極的にその男の隣に座り、その夜飲み潰れた男を彼の下宿まで送っていった。タクシーの中で男は歌を歌った。なんだか自作の歌のようで、「芝居をやってる男には惚れちゃならねえ…」とか何とかそんな歌。酔っているのを知っていて私は男に、惚れちゃったらしかたないやん、と耳元でささやいた。男はタクシーの中で私の手を握り、「柔らかい手やなあ。僕についてくる?」と聞いた。私は酔っ払った男の胸に寄りかかって、「うん」と答えて一人で笑った。私が答えたときには男は眠ってしまっていた。その夜は何事もなく下宿の部屋まで彼を半分抱えるように連れて行って、そのまま私はタクシーで家まで帰った。
 翌日その芝居好きの男から電話があり、夕べ言ったこと覚えてる?と聞かれ、覚えていると答えた。しばらく沈黙があり、覚えていないという答えを期待していたのか、とがっかりした。がっかりして電話を切ろうとしたら、「僕はそんなに酔ってなかったんやけど」と言われて私は胸がいっぱいで何もこたえられなかった。「今夜これから出られる?」と聞かれて「うん」と答え、「中山ラビのライブ聞きに行こうか」と誘われて一時間後には小さなライブハウスの混雑した中で寄り添っていた。その夜のうちにキスをした。急速に恋の嵐が二人に襲い掛かるようなそんな恋の始まりだった。次の日の夜私はその男の下宿にいた。家庭教師のアルバイト先から一つ先の駅に彼の下宿があり、バイトの帰りに思い切って訪ねたのだけれど、男は全然驚くこともなく私が来ることをわかっていたように部屋に招き入れてくれてすぐに抱き合った。私は初めてだった。うまくいかなかった。初めてと思わなかった、と男がいい、それはどういう意味なのか私には理解できなかったのだけれど、喜んでいいことばではないような気がした。一気に盛り上がった恋がちょっと後退したような気がした。

第6回(https://note.com/nobanashi55/n/nc56febb2f75a)へつづく

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