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連載小説「電話」  第6回

 次の週の教育心理の授業で吉本にあったとき、私はそのことを彼に話した。うまくいかなかった話と男のことばと、それはどういう意味のことばなのかを吉本に訊いた。
 「どういう意味で言うてるのかは僕にもわからへんなぁ。おまえが処女やというのは知ってたけど」と吉本は言った。「なんで?」と聞いたら、「なんでかなぁ、でも分かった」と言い、私はなぜかその言葉にほっとした。なぜそういう気持ちになるのか自分でもわからなかった。私は処女性などを全然大事に思ってはいないつもりだったから。大事に思っていないつもりで、案外こだわっていたってことなのかもしれない。
 「そやから一回僕とやっといたら良かったんやん」と言うだろうと思ったけど、吉本は言わなかった。そして自分の最初のときの失敗談を過剰に演出して話してくれた。本当の話なのか作り話なのかわからないようなとんでもない失敗談だった。吉本の名誉のため、秘密にしておくけど。
 芝居男との付き合いは、セックス抜きで順調だった。二人でたくさんの芝居を見て歩いた。彼の劇団の公演を見に行くと、女子高生のファンの女の子に囲まれながら私に笑いかけてくる男を見るのが気恥ずかしくてならなかった。ファンの女の子から貰ったマフラーを私にうれしそうに見せたりした。
 卒業がちらちらと見え始めた頃、男は卒業後東京へ行くつもりだと言った。ある俳優の主宰する劇団に誘われているから、と。いっしょに東京へ来て欲しい、と言った。私はそういう誘いの言葉に喜ぶ一方で、全く現実感を持てなかった。二人で東京で暮らす生活を思い描けなかった。一人っ子の私は両親のそばを離れることを想像できなかったし。吉本はそんな私のためらいを「セックスしてないからや」と分析した。「なに、それ」と私は言い返しながら、吉本が言っている意味とは違う意味で、そういうことも原因としてあるのかもしれない、と思えなくもない自分もいた。芝居男と私の関係には現実感がない。現実感がないとわかっても恋しさは残っていた。
 冬が深まっていくある日、吉本が友達を連れて私の前に現れて一緒に飲みに行こう、と誘った。吉本と中学、高校が同じだというその友達男と三人で繁華街まで出かけた。クリスマスが近かったのかもしれない。街は電飾にきらめいていた。
 吉本は京阪沿線の寝屋川という町から通学していた。阪急沿線の私も帰りやすいように先斗町へ行った。騒がしい焼き鳥の店だった。
 学生ばかりで込み合う店の片隅で三人ともジョッキでビールを飲みながら大声で話した。なんだかすごく飲んで、私の恋愛話に焦点が絞られ、男二人は芝居好きの私の恋人のことを言いたい放題にぼろかすに言っていた。
「その芝居男のせいでカーコは22歳でまだ処女のままや」と吉本は友達男にばらして、友達男は「カーコさん、処女?眉間の皺はそのせい?」なんて言い、吉本は「そや、その眉間や」と殊更に大きな声で言った。吉本によると、処女かそうでないかは眉間に現れるというのだ。そんな話聞いたことないわっ!と私はもうほとんど呂律の回らなくなった口で反論しながらも、いつの間にか眉間をごしごしして笑っていた。笑ってるつもりがそのうち泣き笑いになり、最後はぐずぐずになって泣いていたらしい。その夜、みっともなく酔いつぶれた私を吉本と友達男はちゃんと介抱して家まで送り届けてくれた。

第7回(https://note.com/nobanashi55/n/ne8f02222ffe7)へつづく

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