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【映画感想】ザ・キラー

※ネタバレ注意※ 

 面白い、こういう殺し屋映画もあるのか。
 全編通してマイケル・ファスベンダー扮するクリスチャン/ザ・キラーに焦点を当てて描かれる、殺し屋ドキュメンタリー、殺し屋密着24時である。

 まず開幕の独白部分から異色を放っている。一般に、殺し屋と言えば自分を曝け出すことなく淡々と任務を遂行する、そんなイメージがあるが、果たしてそれは本当だろうか?
 殺し屋だって一人の人間である。己の流儀があるし、自問自答もする。そう言わんばかりの長い独白。しかし、立ち振る舞いは確かに流麗、身のこなしも鮮やか、身に纏っているのはプロの殺し屋のオーラだ。与えられた任務は決して失敗しないだろう、そう思わせる。
 だが……長い長い独白の果て、彼は殺しを失敗してしまう。 
 これは面白い。物語の導入としてフックが効いている。作品にその意図があるのか分からないが、個人的には少し笑って、思わず突っ込んでしまった。成功の秘訣を(聞かれてもいないのに)格好をつけて延々と喋り尽くした挙句、失敗してしまう。突っ込まずにはいられない。
 その後の動揺も面白い。数分前には「神に仕えない」と言い切っておきながら、「神ならどうする?」と神の思考をトレースしようとする。
 しかし、ここまで観てきて、すっかりぼくはこの人間臭い殺し屋に感情移入してしまっていたのである。それを狙った演出だとするならば見事というしかない。バイクで逃走するシーンは、ギアが入ったように緊迫感を増し、ザ・キラーとなったぼくは自分が追われているような焦燥感に襲われる。サイレンの音が四方八方から聴こえ、僅かな隙間を縫うように路地を駆け抜けるシーンは、手に汗握るスリルを味わえた。
 少し巻き戻るが、イヤホンから流れる音楽をスイッチとした視点変更も、お洒落で面白い演出だと思った。本作は前編通して音響が有効に使われていると感じる。
 中盤からはザ・キラーの復讐と自らの安寧を求めるロードムービーが始まる。特筆すべきは"殺し"のシーンだけでなく、"殺し屋"としてのディテールの描き方に少なくない尺を割いていることではないだろうか。念入りな証拠隠滅、無数のカードの使い分け、各地にあるアジトの活用、Amazonの利用もくすっとしたが、本当に殺し屋に密着したドキュメンタリーのような作りであり、自分が殺し屋になったような錯覚を起こさせる作りなのだ。
 当然、今の世界において殺し屋とはファンタジーな存在である。だからこそ殺し屋映画、ノワール映画は、あくまでフィクションとして、自分が観客となって仮想の世界を楽しむものとして存在する、とぼくは考えてきた。それに対して本作は、まるで殺し屋はこの世界に存在し、こうやって仕事をしていますよ、と教え説いているような作りなのだ。これはなかなか興味深い、と思った。

 後は枝葉の部分であるが、別荘地での別の殺し屋とのアクションは、一転して激しく見応えがあった。ただ、流石に二人ともタフすぎるのでは?と思わずにはいられなかった。派手なアクションの連続で、魅せるシーンだったとは思うが、現実味に欠けるような。いや、本物の殺し屋はあれくらいでは戦闘不能にならないのだろうか……?あとは、ピットブルは本当に恐いと思った。街中で襲われたら逃げられないね、あれは……。 
 個人的に”綿棒のような女性”とのやり取りも、クールでお洒落で好み。ここまでハードなアクションの連続だったのに、高級なレストランで美味しそうなウィスキーを挟んでの会話劇は趣向が変わって引き込まれた。最後に、あざとく手を取らせようとするのもまた…。


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