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【映画感想】PERFECT DAYS ~木漏れ日に揺れる~

 年明けから素晴らしい映画に出逢ってしまった。

大きな事件も事故も起こらないのに、一瞬たりとも画面から目が離せなかった。平山の日常は”映画にありがち”な派手なものではないけれど、平穏でもなければ、つまらないことも決してない。とても尊く、そして美しく彩られた日々。
 特筆すべきは、彼が生きる世界はパリでもニューヨークでもサハラ砂漠でもアマゾンの奥地でもない、日本の東京の下町だ。これは、当然ながら東京の下町を卑下しているわけでなくて、ぼくたちが当たり前に接している、ともすれば見過ごしてしまいがちな世界に平山はいるということ。
 普段何気なく眺めている世界が、これほど鮮やかに煌めいていることに気づかせてくれたことに、純粋に感謝したいと思った。

 本作を巧みに構成しているのは、画だけではない。劇判として平山のカセットテープから流される60~70年代のヒット曲たち。(生憎ぼくは音楽に疎いため選曲の妙は一切分からないが)。いつもの缶コーヒーを啜りながら、朝日を浴び、職場である公衆トイレに向かうまでのひと時に嗜みたいのは、どんな曲なのだろう。ぼくたちは、平山になったつもりでプレイリストの一曲一曲に思いを馳せる。

 本作では『今度は今度、今は今』という印象的な台詞が使われるが、まさしく本作を体現しているキラーフレーズではないだろうか。平山が送る日常には、過去も未来もなく、まさに今しかない。物語の後半で彼の姪や妹が登場し、彼のバックグラウンドが匂わされるものの、必要以上に彼の過去が語られることはない。そして彼自身も過去を拠り所にしない。刻一刻と移ろい変わる木漏れ日のように、彼は今を紡いでいく。

 本作において平山を演じられるのは、役所広司以外はいないのではないか。表情一つから、細かな所作に至るまで、すべてが等身大の平山だった。本作を観て、2021年に公開された同じく役所広司主演の「すばらしき世界」を連想した人も多いのではないだろうか。本作は「すばらしき-」の三上が辿り着くことができなかった並行世界のように感じられた。

 とかく現代の日本は格差が広がり、勝ち組にならなければならない、誰かから評価されなければならない、そういった風潮が蔓延し、人々を支配している。まさに生まれた瞬間から死ぬ間際まで、終わることのない徒競走をさせられているようなもの。では常に1位を走り続けなければ、人生に価値はないのだろうか。なにも人生を悲観して、トラックを逆走するような人生を歩む必要はない。けれど、周囲を蹴落とし、汗と血に塗れて死に物狂いで駆け抜けるばかりが、人生ではないはずだ。
 平山は、誰に勝とうとも、また負けようともしていない。ただ、真摯に自らの日常を生き抜いているだけ。そしてきっと今を生きる誰もがそうなのだと思う。
本作を観て、ぼくは今を生き抜いているすべての人生を尊重していきたいと思ったのである。




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