見出し画像

生き急がずに、人生に余白を

世の中の人はみんな「生き急いでいる」

そう感じるようになったのは2年くらい前から
カナダ留学が最初のきっかけだったかもしれない

特に日本人
それまでの自分がそうであったように

決まった年齢で学校に入り
浪人しないように勉強をして
休学なんて選択肢になく
新卒入社に命をかける

きっと生き急いでいるとは思わないだろう

だってこれが「普通」だから

周りのみんなが、
他の大人が、
世の中が社会が
この国が

ほとんどの人の頭の中にある
「これが普通」
「これが成功へのルート」

無意識にそんな感覚に包まれ
遅れをとる人
立ち止まる人が悪のような評価を受ける



生き急ぐとは


何をそんなに生き急いでいるのだろう

最近よくこのことを考える

そんな中で自分で1つ答えが出た
生き急ぐとは何か

私が見つけた答えは
自分の意思ではなく、周りのペースに合わせて決断し行動すること

日本特有の感覚

周りに遅れを取りたくないから
こう生きていくべきだから
これが普通だから

こうやってあらゆる選択をするときに
人は無意識に他人軸で考える


ただ、こんな考えを持っているのは日本人だけなのではないか
個人ではなく集団にフォーカスし
周りから逸脱するのを無意識に避ける

これは良い部分でもあり悪い部分でもある


昨年まで就活するという選択肢を持っていた時期に
疑問に思ったことがある

そこまで新卒にこだわる理由は何なのか

大学の友達に質問したことがある
社会人になって何をしたいの?
その会社に入ったら自分の好きなことできるの?
面接みたいな質問だけど結構軽めにサラッと聞いた

その子の答えは曖昧で
「だってみんな就活してるから、新卒で入社しないと」

間違いではない
そう決めたのならその子が選んだ道だから

でも私にはその答えは
新卒で特別自分がやりたいことができるかわからない環境に飛び込む理由にはならなかった

そもそも新卒入社があるのは日本を含めたアジアの数カ国だけ

これは勝手な自分の想像だが、
まだ何にも染まっていない新社会人を会社に入れて
会社色に染めたいだけなのではないか
とも考えてしまう


新しい感覚


そんな時カナダにいた時を思い出した

そもそも同じクラスでも年齢が違うのが当たり前で
ギャップイヤーを取る人が大半
一度社会人をしても、
自分の学びたいことのために大学に戻ってくる

日本のように
同じ年齢の人が同じようなルートを辿ってるのとは大違いだった

周りに合わせた選択をしている人は誰一人としていなくて
将来的に自分が何をしたいのか
どう生きていきたいのか
どんな人になりたいのか

常に自分軸で判断していた

帰国後の日本で出会った人たちもそうだった

休学している人が大半で
いわゆる王道ルートから逸脱している人ばっかりだった

私にとっては
新卒でバリバリキャリアを気づいている人よりも
自分の本当にやりたいことに焦点を置いてその実現のために
他人軸ではなく自分の意志を持って
周りなど気にせずに生きている人たちの方が
何千倍もかっこよく見えた


そうだきっと
過去の自分も含め周りの人はきっと
生き急いでいる

そう思った


自分軸と他人軸

ただ、生き急ぐと自分で選んで急いでいるは全く違うものに感じる

私にとっては休学することが今後に向けた選択であり、
王道ルートから外れる方が自分の幸せになると思った
だからこの選択をしただけだ

なぜなら今の私には
周りの人と同じように生きたいとか、
早く出世したいとか、
タワマンに住みたいとか、
ブランド品が欲しいとか、
そんな欲が1ミリもないから

だったら、自分が好きな人と
自分とその人たちがやりたいことを実現していくために動きたい
そう考えたから今の選択をした

もう既に良い意味で
他の同世代が何をしているかなんて
この年になったらやるべきことなんて
全く気にならなくなった


一方で、
早く出世したい
役職に就きたい
お金持ちになりたい

他の人の理想はわからないけれどそんな欲があり、
早く出世するには早く社会人になって結果を出さないと
そのために新卒入社しよう
そうやって
自分の意志で選択し生きているのであればそれは
「生き急いでいる」わけではない

つまり他人軸と自分軸で選択しているかの差
周りのペースに飲み込まれて急いでいるか
自分で決めたペースを生きているかの差

そんな感じだ


人生のタイミング


あとはどの人にもタイミングというものがある

私の母親の教えのように
その人に必要な時に必要な選択を取れるようになっている
心からそう思う

NZにワーホリに来て
私よりかは年上の人の方が多い

大学を卒業してきた人、
社会人を休職してきた人、
最後のチャンスと思ってギリホリできた人

そんな人たちから口を揃えて言われるのは
休学すればよかった
もっと早く来ればよかった

私が若い年齢でワーホリという選択肢を知っていて、
実現できていることを羨む発言ばかり

ただそんなことを言ったら、
こっちで出会った高校生の時からNZに来て
今はこっちの会社で働いてるとか
こっちで生まれて途中で日本に帰ったけどまたNZに帰ってきたとか
そんなことを言ってる人たちを私は羨ましいと思う

逆に社会人を経験して、そこで培ったスキルをこっちで生かしている人を見ると
私には何もないと痛感する


きっと人はどんな年齢で来ても
他の人に対して羨ましいと思うのだろう

私はもっと若い年代で来なかったことに全く後悔をしていない
だって今が私がくるタイミングであり
ここで得る経験が今の私に必要なんだと思うから


つまり人は
特に日本人は
周りや社会に左右されることなく
自分で自分の人生のペースを掴み生きていけば

それでいいのだと思う

私のようにのんびり生きる選択をした人は
自分の人生に余白を作り
偶然の出会いと経験を大切にして
本当に自分のやりたいことの実現のために
一旦動いてみる
そうやって生きていけばいいのではないか

失敗したってまだなんとだってなる
いくらでも取り返せる
可能性は無限大だ

最近の夢

最近改めて夢というか目標ができた

これは結構昔から思っていたことだが
最近言語化できるようになった
そんな感じだろうか

自分はそもそも
好きな人と好きなことをして生きていきたい

こんなことを言っていいのかわからないが
最新テクノロジーで世界を変えたいとか
世界を取り巻く社会課題を解決したいとか
申し訳ないくらいに全く思っていない

世界のいろんな国に行きたいなら
海外が好きなら
日本の未来を心配するのなら
ちょっとは興味を持って行動すべきなのではないか
そう何度も何度も考えた

でも今はある人の言葉で吹っ切れている
「世の中は役割分担だから」
そういう課題に興味がある人が解決していけばいいと思うし
世界を変えたい人が変えていけばいいと思う

残念ながら私にはそんな考えがないけれど
自分の周りの人を幸せにしたい
くらいの考えはあるから
その人たちの世界を変えることにフォーカスしようと思う

ちょっと話が逸れたが、
私が好きな人と好きなことをして生きていきたい
そう考えた時に
何をするにも私にはそれを一緒に実現してくれる仲間が必要だと思った

でもその仲間にはそれぞれのやりたいことがある
だから今の私の夢は
私が一緒にいたいなという人の夢を一緒に叶えてあげること
そこにちょこっと自分のやりたいことも入れさせてもらって
叶えられればいいのかなって

それを見た今生き急いでいる人たちが
こんな生き方してる人もいるんだ
こんな選択肢もあるんだって

ちょっとでも人生に余白を持てるように
自分のペースで生きていける人が増えたら、
そしていずれ社会的に「これが普通の生き方」がなくなっていって
それぞれやりたいことを応援されて、実現できる世界になればとても素敵だ



なんてね

思考整理しようと思って描いたけど
結局意味わからない文章になっちゃった

まぁいいか
きっと1ヶ月後には考えが変わってるかもしれないしね



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?