ものづくりとストーリーと

ぼやぼや、ぼやかしながら書きますが某大手アパレル企業のひとつブランドが終了するというニュースについて。

ここから書くことは個人をを批判したり傷つける意図はなく、自分の日々の考えと擦り合わせてどう思ったかを残しておきたいだけです。
わたしの立場としては関係者でもなんでもなく(当たり前か)、企画や生産を行うものづくり側から興味があり、SNSをチェックしたり講演会にも参加したことがありました。

●何が起きたか

7月末。ブランド終了にあたり、SNSを見ているとなにやらざわざわしている。
ブランド最後の受注生産商品が「不良品」だったらしい。
受注生産販売の倍率が高かったことや、会社からのレスポンスの遅れによりさらにざわざわを加速させているようでした。
ファン(あえてお客さんではなく)の意見は、「ブランド最後の記念にと購入した商品が不良品で裏切られた気持ち、最後のお洋服だから返品したくないけど持っていても悲しくなる。」そして「洋服に愛着を持って大切に着ることがブランドテーマの1つだったのに最後に届いたものは不良品だった。」という声。(あくまでこちらで要約しています。)

●ストーリーで売ること

アパレルに限らず、ものづくり・ものを売るという現場で「モノはいいのに売れないね。どう売るか、どう見せるかを考えよう」という流れがある。その一つにストーリーをつける方法がある。
例えばセーター1着を売るとして、すごく暖かい!とか着心地がいい、見た目がおしゃれ、と言って売るのではなく、どんな人が、どんな思いで、どのようにして作ったのか。またはこの編模様に込められた想いなんかを全面に出す、というもの。ファストファッションが売りにしているのは低価格と旬のデザイン。パッと見おんなじ商品ができてしまう今、ストーリーという付加価値をつけていく売り方がある。

しかしこの「ストーリー」、先に書いた通り、「モノがいいのに」の時に効果を発揮する。モノがいいのは大前提、それを売るための「ストーリー」なのだから。
「ストーリーがいいのにモノはね…」では本末転倒、ただただゴミを作って売るか捨てるかをしているだけだ。

●個人の感想

救われないなあと思ったのは「大切に作った洋服を大切に着ようね」というブランド個人の意見を表に掲げながら、大きな会社の中ではそれを実現するための仕組み作りができていなかったという現実。ひとりの真っ当な意見だけでは理想は実現しなかった。(真っ当な、というのはいち個人の感覚としてであってそれがビジネス上でそうかはまた別の話。)

いいものであることは当たり前。いいものであることを前提にストーリー抽出、編集して売っていきたい。まずはものファーストであること。誠実であること。
そのバランスを欠くと、届くものも届かない。
理想は掲げながらも、すぐには叶わないことを頭に入れて、少しずつ現実を理想に寄せていきたい。

そして耳ざわりのいい言葉には裏があるというか、誰かがすごく我慢をしていることが多いな、と思う。
無理を言って叶ったことは、どこかでだれかが無理をしたからできる。
いままでどうしてもうまくいっていなことには、理不尽でもきちんとした理由がある。

話が脱線するけれど「できない理由よりできる方法を」と言う話があるが、個人的には無理なものは無理だと思う。だからといって切る捨てるのではなくここまでならできるれど、これ以上は無理。もっと時間やお金があればここまではできる。というのを対等に言えるようになるといいな。それが難しくて何十年もウンウンしてるのは承知の上で。

ものづくりの上澄みを見知っただけで知った口はきけないがすこしでも関わった者として疑問や意見は持っておきたい。
このように考えるひとつのきっかけになったブランドは、顧客以外の人にも広く影響を与える存在になったと思う。

最後に、批判はしないと書いたけど個人を矢面に立たせている会社の姿勢には「?」です。そもそも生産管理・品質管理は会社の仕事だしその担当者がいるはずだから。おわり。



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