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自分が一番の自分の差別者になることで

「あいつは鬱病だからダメ人間だ」「あいつは適応障害だから甘えだ」そんなことを言う人がこの世の中に全くいないわけではありません。時々、というか想像よりちょっと多めにいたりします。それはとても悲しいことだし言っている人に対して腹も立つけどそういう教育しか受けれなかったとかそういう価値観の社会で生きてきたのかとか考え出すとまた考えさせられる所で。まあ言ってることが本気でしょうもないという点では変わりないのですが。でも、多くの人は精神的な病気症状もろもろがダメ人間の証や甘えではなくマジで辛いんだよということを学んできてはいるはずなんです。各メディア、学校の授業、会社の研修でもメンタルヘルスについては取り上げられますから、知識として「心の症状は甘えではない」と知る機会はいくらでもあります。特に、実際に病気になったり症状が出ている張本人は、正に今苦しんでいるのだからそれがどれだけ辛いことかは自分で分かっているはずなんです。

でも、精神的な病気や症状のただ中にいる人達はよく自分自身のことを「自分は鬱病だからダメ人間だ」「このくらいのことで会社・学校に行けないなんて甘えだ」「精神科に通っているなんて弱いんだ」などと言います。ダメでも甘えでも弱くも無いのに。辛かったんだから休んでいいのに。ていうかそもそもダメでも弱くても甘えてもいいのに。いいじゃないですか、アウトロー。別に皆でワンカップ片手に路上にいたって…ダメですか?一番辛いのは本人なのに自分で自分を差別して追い詰めてもっと辛くする。これは一体どういう流れなんだろう?

小難しい本には「認知の歪み」などといって、主に鬱病、鬱症状のある人は自分のことを過度にダメな人だと思ってしまう、起きた出来事に過度に悲しくなってしまう、みたいなことが書いてあるので症状の1つでもあるみたいです。(心がしんどいのに症状、って言い方なんか口内炎とか鼻水みたいな感じで嫌じゃないですか?私は嫌です。「ヤバポイント」とかなんとかって呼びたいです)
で何でしたっけ…ヤバポイントのせいでちょっと忘れたんですが、とにかく「認知の歪み」とかいう自分の心の認識が全部自分を責める方向に行ってしまうヤバポイントが起きることは起きるらしいんです。ヤバポイントとか症状とか言ってもそれは誰かから自信を喪失させることをされ続けただとか、自分で自分を追い詰めるしか無い感じになってしまっただとかもちろん1人1人に理由のあることだとは思います。

でももう1つ…これは辛くて起き上がれない、死にたい、みたいな状態の方にとってよりは、もう少し回復して家の外に出られたり人と話をできたり働いていたりする方にとってなのですが、自分責めが「自己防衛」の手段になっていることもあるんじゃないかと思うんです。自分の中で先に自分の欠点を列挙して自分はダメ人間だと思っておくことで、いざ他人に責められても純度100%のショックに「ああやっぱり自分は…」という気持ちが混ざって少なくとも純度100%のショックよりマシになる。他人の毒を自分の毒で緩和する。最初に挙げた「自分は鬱病だからダメ人間だ」「このくらいのことで会社・学校に行けないなんて甘えだ」以外にも、「私は仕事ができないから」「私バカだから」「私ブスだから」これらも他人に言われて傷付く前に先手を打って自分に一撃入れて麻痺させる自己防衛方法なのではないかと思います。

これは当然といえば当然の流れかもしれません。こうした自己防衛をするようになる背景にはひどく辛い思いをしたり他人に責められたり自分で責めたり、何かしら理由あってのことだと思いますし、自分を守るのは大切なことです。そもそも社会が「ちゃんとせい」と言っているから自己防衛せざるを得なくなっているのですし。それにこのやり方だと人を傷付けません。…自分しか。

傷付きませんか?自分にダメ人間って言われたら、傷付いちゃうと思うんです。他人に言われるよりはマシかもしれないけれど、でも、落ち込みません?自分が一番の自分の差別者になることで攻撃を緩和しようとしても、自分が一番自分に厳しくなることで誰にも責められない人になろうとしても、自分を一番分かっていて四六時中一緒にいる自分に常に責められていたのでは、下手をすると他人に責められるよりキツいんじゃないかと思うんです。そもそも社会から「ちゃんとせい」的な圧を受けているのに、自分でもまともに食らっちゃったらやっぱり辛いと思うんですよねえ。

それに自分から自分責め発言をしていくのは案外恐ろしくて、自分は仕事できるつもりだけど上司の叱責を避けるために適当に言ってた「私要領悪くて…」が浸透して本気で自分は要領悪いんじゃないかと思い始めちゃって、上司までなんかそんな気がしてきて「お前は要領が悪いから…」とか言い始めて最終的に病んだりもします。はたから見てめちゃくちゃ可愛いのに、元々は本人も自信あったはずなのに「私ブスだから…」って謙遜してたら意地悪な人に「そうだね目元がアレだね」とか言われて病んだ結果整形するために借金する女の子がいたりもします。これは自分責め発言をした人ではなく完全に上司や意地悪な人がド阿呆なのですが、でもこういう形で本来食らわなくてもいいブーメランを食らうこともあります。

自分を追い立てることで何かを得ることもあります。欠点に自分で気付けることも良いことだと思います。自分で自分を責めることももちろんあると思います。でも、「自己防衛」としての自分差別は、自分責めは、もうしなくてもいいのではないでしょうか。しないほうが安全ともいえます。よくメンタルが弱った人にどこかの誰かが言ってくる「自分で自分の味方をしてあげよう!」的なのも出来るならした方がいいに決まってるのですがまあ何というかうるせえよと思ったりもするので無理なら無理で置いといて、味方もしないけど敵にもならない、くらいでいいのではないでしょうか。

そして何より、自分で自分を差別・責めない方が少なくとも1人でいるときに自分にちょっとしたご褒美お菓子を買ってあげられたり、なんとなく可愛い服を眺めたり、なんとなく好きな曲を聴いてみたり、なんとなく幸せでいられることが増える…んじゃないかなあと思います。

差別してくる他人に対してどうするかは、もう警察沙汰にならなければ何でもいいと思うので、まずは自己防衛他人もろもろはとりあえず放置で個人的になんとなく大丈夫な感じでいるのが最優先でどうでしょう。

(世の中に言い切れることってあんまりないと思っていて、基本的に歯切れは悪いです。この記事もそもそもただの私の考えなので、私の考えと読んでいる方の考えが違ってもそれはそれだけのことで、違う考えは聞いてみたいですがどっちが正しいとかそういう話じゃないと思うんです。だから、うるせえ違うわと思ったら無視するか私に教えてください。でも興味があったら、ちょっとだけ、一旦色々放置でお菓子とか食べませんか。)

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