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あと半年しか生きられないとしたら【グッバイ、リチャード!】

あなたが生きれる日数は残り○日です、って余命宣告されてから、人生について考えるというのはよく聞く話。
毎日の一瞬一瞬、一日一日を後悔しないように生きよう、もっと自由に好きなことをして過ごそう、ってふとした瞬間に考えることもあるけれど、気づけば惰性でなんとなく日々が通り過ぎてしまう。
せっかくの連休だったのに、結局何もせずに終わってしまって、ああまた明日から仕事だ、と現実に引き戻される。

このまま今の仕事を続けたくないから転職しようと思っても、転職サイトを見ることもなく一週間すぎるなんてザラにある。
もっといい人生、もっと楽しい生活を送りたいと考えていても、じゃあどうすれば実現できるだろう、って行動に移すまでに時間がかかったり、先送りにしてしまう。

こんなにも現状を変えたいと思いつつも行動に移せない私。
こんな状態であと半年しか生きられません、なんて余命宣告されたら、それこそ何もできずにあっという間に半年経って、後悔しながら死んでいくのが目に見えてる。


どうせ死ぬんだったら誰に何にも遠慮することはない。
言いたいことは言って自分に正直になる。
こんなことを言ったら嫌われるかなとか、変人だと思われないかとか、失礼な人だなとか、もうそんなこと思われようがどうだっていいじゃない。

確かにまだまだ人生が続くのなら、人間関係を悪化させるのは自分にとってもよろしくない。
環境に居づらくなるだろうし、爪弾きにされれば物事もうまく運ばなくなってしまう。
協力してくれる人がいるからこそ、自分の意見も通るというもの。
だから人間関係の構築や維持には苦労もストレスもかかる。

でも正直な自分を好いてくれる人も現れるんじゃないかと思うのだ。
自分は思ってても言えなかったことを臆することなく言ってのけた人には好感度がある。
何でもかんでもストレートに言えばいいわけじゃないけれど、ユーモアを交えて言えばトゲも柔らかくなるだろう。


余命を宣告されたら、すべてが吹っ切れそうな気がする。
これからは自分のために生きるんだ、面白くもない仕事を続けられるか、あのうるさい人とは二度と付き合いたくない、どうせ死ぬならもっと眺めのいい場所で過ごしたい、などなど。
あと半年しか生きられないからこそ、自分に優しく自分に甘く、自分にとって最適な環境や人間関係に囲まれるように工夫するんじゃないか。
無駄な人や時間は削り、もっと大事なことに時間を費やす。

でも逆に言えば、余命がわかるからこそ遠慮しなくなるのではないだろうか。
まだまだ人生が続くと思っているからこそ、仕事は辞められないし人付き合いも断れない。
まだまだお金が必要だから借金もできないし、クレジットカードも使いまくれない。
命の期限があるからこそ、逆算できる部分が多いと思うのだ。

「今日一日が人生最後の日だと思って生きてみなさい。」
確かにそういう気持ちで生きることは大事だ。
ただ、今日が最後なら仕事には行かないし、美味しいものをコレステロールとか金額と関係なしに食べまくる。
何なら弾丸旅行で海外に飛んでしまうかもしれない。
だって今日死ぬのなら、好きなことだけしたいじゃない。


いつ死んでもいいように生きていくのは難しい。
欲望にまみれた私は仕事もお金もルーズになるだろうから。
でももっと遠慮せずに生きられれば、毎日は楽になるだろう。

The Professor / 2018

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