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観た映画の感想 #29『聖地には蜘蛛が巣を張る』
『聖地には蜘蛛が巣を張る』を観ました。
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聖地マシュハドで起きた娼婦連続殺人事件。「街を浄化する」という犯行声明のもと殺人を繰り返す“スパイダー・キラー”に街は震撼していた。だが一部の市民は犯人を英雄視していく。事件を覆い隠そうとする不穏な圧力のもと、女性ジャーナリストのラヒミは危険を顧みずに果敢に事件を追う。ある夜、彼女は、家族と暮らす平凡な一人の男の心の深淵に潜んでいた狂気を目撃し、戦慄する——。
(公式サイトより)
まずは女性の社会的地位が非常に低い文化圏で起きた事件を、女性が強固な抑圧と闘いながら解き明かしていくクライムサスペンスだという一面はあって、その点ではとても骨太……というか壮絶な作品だと思います。
まず冒頭、映画上では「最初の被害者」となる娼婦の女性の描写からして悲惨で、体はアザだらけだし客の男が彼女に浴びせる言葉の乱暴さといい(しかも男が世間的にはかなりの成功者であるというのが映される小物の描写で分かる)、この社会で女性、とりわけセックスワーカーというものがどういう存在として扱われているのかが容赦なく描写されていくわけですよ。
主人公のラヒミにしてもそうで、未婚女性だというだけでホテルが取れなかったり、仕事として話を聞きに来てるのにまともに相手して貰えなかったり、協力者であってしかるべきの警察にも最悪の侮辱的扱いを受けたり。「女性である」というだけで斯様に生きづらい社会であるということが嫌と言うほどつきつけられる。
ただ、それと同じくらい犯人のサイードにも描写が割かれているのが単にフェミニズム的視点からの男性至上主義批判に収まってる映画でもなくなっているなーと個人的には思っていて。
彼は民兵として従軍していたけどそこでは成果を上げられなかった、殉教者にはなれなかった人物として描かれていて、そういう「何物にもなれなかった」「そんな自分にも英雄的行為がなし得るのではないか」っていう鬱屈が「聖地を穢す娼婦達の処刑」という”殉教”に走らせたと。これって「男らしい男である」ことを常に要求される圧の弊害にも思える。
サイードを英雄視したり正当化する人が少なくない人数で現れたりするのも、あんなのは死んでくれてよかったよみたいなことを被害者女性の家族ですら言ったりっていうのも暗澹たる気持ちになるし、またそういう価値観がサイードの子どもにもまるで呪いのようにしっかり継承されていくのも本当に怖いんですよね。ラストシーンのビデオカメラのあれ、下手なホラーよりもホラーでしたし。
要するに、ここで起きていることは社会全体の核になってる部分に深く根付いている文化と表裏一体の問題であるっていうことだと思うんですよ。どうすれば解決するのか、そもそもこの問題を前進させることができるのか、この映画を観た限りではちょっと思いつかないですけど……
観ていて楽しい映画ではないしむしろ胃がずーんと重くなるタイプのダメージを負う作品ではありますけど、今観る価値のある映画でもあると思います。
最後に、鑑賞後に映画の内容の補足として参照した対談を。
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