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柔軟な考え方。

生きていれば悩みはつきません。
問題に直面した時に人は考える生き物です。
私なりの対処法が誰かの役に立てばと思い記します。

柔軟な思考。

ゴミ拾いを通して以前よりも柔軟な思考を手に入れた気がします。
私はボランティアと言われるのが今でも恥ずかしいです。
ボランティアとは【公共性の高い社会への奉仕】
根底が【私のやりたい事をやっているだけ】と思って行動しているのでボランティア精神とは程遠いのです。
色々な考え方に触れて【思いは別として結果ボランティア】なのかと思えるようにはなりました。

ゴミ拾いをしていて不満が一時期ありました。
活動している地域による自治体の温度差。
回収袋配布の有無・集めたゴミの処分方法etc
後方支援または共に地域を良くしていこうという姿勢を感じない。
役所は何を考えているんだ!と。
実はこの不満は冷静に考えると身勝手な不満だと思うんですよ。
不満の発端に内在するものとして・・・
【社会奉仕活動をしているのになぜ?】
自分の想いに気づいた時にはハッとしました。

身勝手の理由
ゴミ拾いを趣味として実施している私。
自治体からしたら勝手にゴミ拾いをしている稀な人
色々な趣味がある中でゴミを拾ってるだけなんです。
趣味を社会奉仕と大義名分を掲げてゴミ袋を配布しない・ゴミの回収もしない市民に関心のない自治体だ!と憤っていたのです。
冷静に担当部署の立場になって分析してみると
趣味の一部費用負担・ゴミの処分の押し付け。を職務怠慢だと声をあげるクレーマー。それが私なのではないか?
だいぶ乱暴な言い方ではありますがそんな感じではないかと。

自治体による温度差はあれど寄り添ってほしと思うことは健全かもしれません。
でも、一方的な押し付けはどんな場面でも歓迎されるものではないと思います。
正義は我にあり。正しい事がまかり通らないのは相手が間違ってる。
そんな思いがあると相手の立場になって考える事ができなくなる恐れがあります。
ワタシはアナタではない。
アナタはワタシではない。
それぞれ立場や考え方がある。
凝り固まった考え方だけでなく柔軟な対応が対話には必要だと思います。
悩みや生きにくさの本質を突き詰めていくともしかしたら凝り固まった自分自身が原因かもしれない。そんな考え方です。

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