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令和の伊藤野枝になりたい

私は令和の伊藤野枝になりたい。

『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』2016 栗原康 岩波書店

伊藤野枝は大正時代に生きたアナキスト。
類を見ない程わがままさを以て欲望のままに生き、28歳のとき憲兵に殺された。

学生のころ、とにかく嫌なことがあった。
私の手の中にあるはずの自由を制限され息苦しかった。どこにも言っていく場所もなく共感が得られる環境でもなく、たまたまTwitterで見た見知らぬ人の書評を読んで、あ、この本読みたいなと思った。
大学の図書館にリクエストを出せば入るんだろうけど、そのころ私が夢中になっていたのは学術書やドキュメンタリー本であり、これは伝記でしかも知っている著者の本ではなかったため、保留したままになっていた。

それからしばらくして冬、東京芸術劇場に演劇を観に行った。
二兎社の『私たちは何も知らない』
好みの合う、知らない人が勧めていたので気になったのだ。
初めて行く劇場で、初めて耳にする名前の劇団の、詳しくない題材の演劇だった。
それが本当に面白かった。私は演劇の素養は持ち合わせていなかったが、それでも一度観ただけですっかりファンになって帰路についた。

そして今、春から初夏にかけて世界はバタついている。できる限り外出を避け、家で大人しくしていることが自分と他人を守るための推奨されるべき行動であると、毎日毎日言われてきた。
ネットの海を漂う時間が増えた。私の潜水を支えるポータブルWi-Fiは、無制限プランと言いつつも通信量が多いと翌日は低速になる。(そういうルールだ。無制限プランとは一体なんなのか。)
たまたま目にした知らない人の文章で、あの学生のころ読みたいと思った本が文庫化していたことを知る。
文庫化の情報をキャッチできていないくらい、関心が意識の外側にあったことに気づく。

しっかり板についた外出自粛仕草で、Amazonへ飛ぶ。
prime会員歴が5年以上にもなると送料に敏感になっていて、送料が無料でないならいいやとスマホを切る。

久しぶりの出社日、帰り道に大きめの駅で途中下車し、書店に寄る。最後の一冊だった。
迷わず手に取り、颯爽とレジへ向かう。
誰にでもなく自分に対して勝ったような嬉しさもあり、普段は断るブックカバーまでつけてもらった。

なんとここまで書いておいて、まだ第一章しか読んでいない。
野枝のいちいちが面白くて、刺激が強くて、正しくて、少しずつしか読み進めることができない。
少し読んでは「おもしろい…」と本を閉じ、掃除をしたり机を拭いたりしてしまう。

野枝はわがままだとよく言われる。
事実、結婚していたのに地元から逃げて上京したり、不倫したり、周りに迷惑をかけまくっている。
けれど、野枝はわがままだが他人のわがままを責めはしない。
それが心地良いのだと思う。

正直なところ、私は野枝と同じように生きることは到底できないだろう。
しかし、いつでも心のなかに、野枝の持つ素直さと奔放さを飼っていたいと思う。

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