読書メモ~諸富祥彦(2001)『孤独であるためのレッスン』NHKブックス(後)

承前。

ーーーわたしが10年間求めていた答えは,ここにあったのか。

第3章 孤独の中の4つの出会い

モンテーニュを引用して,著者は言う。「自分自身の心の世界の自由は,孤独を深めていってはじめて手に入る。」そして,「独自の精神世界を展開している人にとって,些末な人間関係に気を費やして疲れ果ててしまうことは,耐え難い,愚かな行為にほかならない」と指摘する。

この意味において,私はまさに「孤独」である。独自の精神世界を持ち,そしてそれは他人に理解されることは余りなく,些末な人間関係には疲れ果てている。

せめてソーシャルスキルは身につけなければならないが,私が行きやすくするためには「より良い孤独」を見つける必要があるのではなかろうか。

続いて,ニーチェが引用される。「1日の3分の2を自分のために使っていない人間は奴隷である」と。

しかし,我々は社会生活と「孤独」を両立させねばならない。

著者は言う。「心全体のバランスをとるためには,自我の欲望を満たしながら,魂のリズムで過ごす時間が大切」と。

つまり,社会生活は送る必要があるが,家族からも別離した「孤独」の時間がないと,心のバランスが保てないのだ。

私は,どう向き合っただろうか。

「孤独」をより多く必要としているように思われる。たぶん,自分が心のバランスを失った時間を取り戻そうともしているのだろう。仕事のふとした時,もしくは自宅に帰った時などに「孤独」を必要としている。

しかし,著者はさらにその上の贅沢を提示する。

「私たちの生活には『自分で自由に使える時間』『特に平日のそれ』という『目に見えない所得』がある」のだと。

こうした著者の主張は,心理学者ムスターカスによって説得力のある部分へと到達する。

「実存的孤独とは,人がひとりで生まれひとりで死んでいくこの悲劇にもかかわらず,激しく生きなくてはならないという人生の本質に目覚めながらい生きていくこと」

「孤独への不安とは,人生の重要な問題を見ないようにするために絶えず自分を忙しくしたり,他者とのおしゃべりを続けたりすること」

ひとくちに「孤独」を語るときには,「孤独への不安」を指し示しているのではなかろうか。だから,「孤独」は話題としては忌避されるのではなかろうか。

しかし,「孤独」を見つめるときには,「実存的孤独」を見なければならない。私たちはどのように生きるべきか。

続いて,キルケゴールの言う「隣人愛」と「孤独」について,ヤスパースの「超越者」と「孤独」について語られる。

なるほど,「孤独」とは,実存主義哲学と大きく関わるのだ。

そして,自分自身の頭で考え抜くことーーーここに,西洋でいう「神」が存在し,仏教でいう「無」「空」が存在する。

私は「空」にならねばならない。

その方法は瞑想だろうか。

第4章 孤独とカウンセリング

この章ではグループエンカウンターで知られるロジャースの話が登場する。

この章で琴線に響いた部分は「人は,他者との関係の間で初めて”ひとり”になれる」という言葉である。

自分の実存性はひとりで完成するものではない。他者とのかかわりがあって初めて気づく部分もあるというのだ。

第5章 フォーカシング

では,「瞑想」などの方法によって,自分は何に気づかねばならないのか。

この章で著者が「フォーカシング」として紹介する技法は,要するに,自己肯定感を高める技法である。

著者によれば「フォーカシング」によって「ひとりの時間がさらに充実した自分自身との対話の時間になる」「自分で自分を傷つけてしまう悪循環をやめることができる」という。

第6章 自分を生きること,運命を生きること

この部分は,本論の紹介ではなく,全体を通しての私の内省をしておきたい。

要するに,私は自分の真の心の声に耳を傾けず,他者の評価軸で生き,真の自分のありように気づいていなかったのである。

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