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魔法の言葉です、下ネタじゃないです

魔法の言葉は本で教わった。星野源さんのエッセイ「よみがえる変態」にて、「「おっぱいを揉みたい」と言うだけで全てがどうでも良くなり、気持ちが楽になる。」と記述がある。これを考えた人は天才。心の中でスタンディングオベーション。


こんな生活の知恵が溢れる程度には、世の中には死が溢れている。自分は自分に死んで欲しいと思うが、中にはめちゃくちゃ波長が合わない相手がいて、やることなすこと全然合わなくて、ドラマや映画なら一つの作品にもなるだろうが、ここは現実世界である。そういう逃げ場がない場合、相手に死んで欲しい人もいるだろう。


訥々と、「おっぱいを揉みたい」を伝えていきたいと思う。だって自分たちはおっぱい、ないし乳首型の哺乳瓶で生きてきたのだ。離乳食を口にするまでおっぱいが生命線だったのだ。その安心感を今も覚えているはずである。というか、自分は覚えている。「いやいやそんなの覚えてないし」という人も、1回おっぱいに思いを馳せて欲しい。思い出すかもしれないし、おっぱいを触るまで思い出せないかもしれない。ただ1つの事実として、そこにはおっぱいを考えたことで他のことがどうでも良くなっている、素敵な思考回路があるのみだ。


自分はおっぱいに敬意を持って「おっぱいを揉ませてください」と言いたいと思う。


おっぱいを揉ませてください。誰かおっぱいを揉ませてくれませんか?ダメですか。

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読書感想文

熱量高めのエッセイを続々更新予定です。お仕事の依頼はなんでも受けます。なんでも書きます。ただただ誠実に書く、それだけをモットーに筆を執ります。それはそれとしてパソコンが壊れかけなので新しいパソコンが欲しい。