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よく見たら、傷なんてどこにもなかった

トラウマと言う言葉が嫌いだった。

何もかも過去のせいにして、思考停止しているようだし、そこに蓋をして、見ない様に触れないようにしていることが何だかずっと違和感があった。

ざっくり放り込むから「なんとなく」になる

それは、トラウマと言う言葉のかごの中に、
色んな出来事をごちゃまぜにして入れていただけだった。

トラウマのかごの中をよくよく見ると、
交差点の右折レーンで信号待ちをしていた時に、
直進車が突っ込んできて怖かったことや、
自分の背よりも大きな飼い犬に噛まれたときの痛みなどに紛れて、小さな記憶も放り込まれていた。

過去のちょっと嫌だったこと、
誰かに何か言われた言葉
自分じゃない誰かに対しての非難を聞いたこと
好きなものを、否定されたこと
挙げればきりがない。

私は数字が得意?苦手?

例えば、私は高校生の頃、数学が大好きだった。
極限までシンプルになった数式にあてはめると、
難解だった数字の羅列が、一気に整理させれ、
一目瞭然の姿に変わっていく。

どんなに複雑なものごとも、数学で表せてしまう。そんな明確さが、大好きだった。

でも、高校2年生の秋頃、大学進学のために、文系か、理系か分かれる時期が迫った時だった。

その日も、私は楽しみながら難解な問題に取り組んでいた。
分からないながらも、数学の先生にたくさん質問して、回答への糸口を探していた。

何度目かの質問をしたとき、先生は私にこう言い放った。
「もう、諦めなさい」

私は耳を疑った。まだ終了のチャイムまで時間がある。
でも、先生は諦めろと?
その時物凄い脱力感に襲われると同時に、
「私は文系でいくしかない(理系は無理)」
と、いう思考に変わってしまった。  

そして私は数学の世界を自分から閉じ、
「数字が苦手」というラベルを貼って記憶のかごに放り込んだ。

傾聴を学んで認識がくつがえる

これまでの私は、トラウマという言葉を聞くと、
そんなの、過去と現在を無理やりこじつけてるだけじゃん~!と思っていた。 

でも、傾聴を学び、日常のささいな出来事に対して、何かしら反応している自分に気づけるようになると、まずは「なんでだろ?」と観察して、
そう思ってるんだ~と、自分の体験を客観視できるようになる。

そしたら、なんてこった。
痛みを感じていた所には、言葉が投げられた跡があるだけで傷なんてどこにもなかった。

数学を諦めて、苦手のかごに入れたのは、私だったように、自分を傷つけていたのは、自分だった。

怒りも悲しみも、諦めも、自分で作りだしていただけ。
だとしたら過去は、(今」の私が捉えなおすことはできるかもしれない。


傾聴を通して、日常の捉え方を変えたいという方へ

ここまで、私の体験談をお話ししましたが、

私の場合はどうだろう?
日常の捉え方を変えて、ブレない未来を描きたい!!

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