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居心地良さを知る、作る

先日我が家で、新年会という名目で初めて
ホームパーティーを主催した。
大人5人、子ども11人がリビングダイニングに芋洗い状態だ。

遅めのお昼ご飯を食べて、おやつを食べ、
スナックを食べ、お酒やソフトドリンクを各々が飲む。
もうずっと飲んだり食べたりしていた。
まるでお正月だ。

こんな前置きを書くと私はまるで、
ホームパーティーが好きそうに思われるかもしれないけど、
全然そんなことはない。

今の場所に引っ越してきて5年ほどになるが、
やっと、ここまできた、という感じだ。

引っ越してきた当初はひとりぼっちで、
話の中心になるようなトークスキルもなく、
高齢化が進む団地には小さな子供を見かけることはほぼなかった。

コミュ障脱出、最初の転機

そんな私にも、子供が通園するようになって、
奇跡的に知り合いができた。
アンミカさんと、MEGUMIさんを足した、
コミュニーケーションのかたまりの様な知人は、
それはそれは社交的で、
月に一度はホームパーティや、カードリーディング、
マルシェなど、色々な事に誘ってくれた。

しかしどんなイベントに誘われても、
あまり乗り気がせず、参加するときは
「その場所から、いかに自由に離脱できるか」を
必須条件に考えるくらい逃げ腰。
乗り合わせなんてもってのほかだ。
だけど、やっとできた接点を手放すのは怖く、
気が乗らないけど、参加する。
参加するけど、気が重い。
そして、そう感じる自分が嫌いだった。
そんな事がしばしばあった。

パーティー嫌いな私が主催側へ

そんな、どうにかこうにか
人が集まる場所から遠ざかろうとする私が、
今回、ホームパーティーを主催できた。

少し前の昔の私からは想像できなかったような未来だ。

しかも、主催なんて、どう考えてもめんどくさいし、
自宅なんか、「帰ってくれ」とでも言わない限り、
他人が家にずっと居るのだから、
数年前の私なら「やめとけ」と、助言しただろう。


では、どんな変化があったのか。
アルコールをちびちび飲みながら観察していると、
おそらく「自己一致」が進んだからではないか?
という仮説が浮かび上がってきた。

自己一致とは、当人が感じていること、考えていること、
言動や態度が一致している状態のことをいう。

どんな感情も否定せず、そう思ってるんだな、と観察することで、
自分を客観視できるようになった。
だから、いちいち、凹んだり焦ったり、
自分を責めたり、無理なキャラを演じたりしない時間が持てたことは、
大きく自己一致に関係しているだろう。


なんだかなぁ~に潜んでいる違和感

自己一致する前の私は、もやもやを言語化できておらず、
行くと約束したものの、前日くらいにすごくめんどくさくなる、
楽しもうと思うけど、気分が乗らず途中で帰りたくなる、
行ったはいいけど、めちゃくちゃ疲れて帰ってくる、
なんてことがざらにあって、
「なんだかなぁ~」とぼやいては、
自分の気ままさに辟易していた。

でも、「なんだかなぁ」を言葉にしてみたら、
自分にとってどんな状態が心地いいのか、
どうなったら嫌だと感じるのかが、
嫌と感じた時に、自分がどう反応するのか、少しずつ分かっていった。
その方法は、もやもやを言語化し、否定しないこと。

違和感を言語化する方法

たとえば、上であげた、
行くと約束したものの、前日くらいにすごくめんどくさくなる
楽しもうと思うけど、気分が乗らず途中で帰りたくなる
行ったはいいけど、めちゃくちゃ疲れて帰ってくる

という感情や思考に対して、
「なるほど、そう感じているんだな」
「今、そんな感じなのか」
と、一旦受け止める。

その時注意してほしいのは、続けて
「なるほど、そう感じているんだな、
 せっかく誘ってもらったのに薄情だな」とか
「今、そんな感じなのか、わかる分かる!しょうがないよね」などと、
過度に断定しないこと。
ただ、今この瞬間に起きていることをただ「気づく」だけでOKだ。

ぜひ、これを読んだ方も1日1回、
「気づく」練習をやってみてほしい。


帰り際に友達から
「ちょー楽しかった!またやろ~~💓💓」
「めちゃくちゃ楽しかった😁」
「最高の休日になった💓」
とメッセージが来て
何だか今までの自分の殻を破れたような気がして、
みんなを見送ったあと、空を見上げた。
細く短い雲が流れるような形で、
青い空をキャンバスにしていた。

もう誘われても行かない、
もしくは、しんどいけどとり誘われたからには行ってみる
なんて極端な行動をせず、
小さな違和感と向き合い続けて、本当によかった。

小さくなる車が見えなくなった後、
大きく息を吸って、玄関のドアノブに力を込め中がらつぶやく。

「大丈夫、まだ終わってない。
 私は、わたしの場所を作っていける。」

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人生は長いようで短いと、世はいう。
でも、明日が来ないかも、と思って生きている人は、どれだけいるだろう。

明日は、たいていの場合やって来る。
そして、死は平気な顔して、突然にやってくる。

だから、どんな小さな違和感でも、
日常的に向き合って、納得できるまで観察してみてほしいと思う。

それが、私が今日も聴く力を磨いていく原動力だ。

https://lin.ee/YolW4wS


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