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小ホラ 第21話

アヒル男


 児童公園にある公衆便所の脇に巨大なラバーダックがあった。
 全身が黄色でくちばしがオレンジ色のお風呂に浮かべるアヒル型のあれだ。
 巨大と言っても公園に設置しているゴミ籠より少々大きいくらいで、芝生の上に直接置かれている。
 遊具という感じではなく、何のために置いたものなのか誰もわからなかった。
 
 最初にラバーダックに近付いたのは三歳くらいの男児だった。いつもお風呂で遊ぶあのアヒルが大きくなってそこにある。
「ママー、みてぇ」
 にこにこと顔をほころばせ、男児はアヒルを指差し母親を呼んだ。
 ママ友とともに駆け付けた若い母親は「なにこれぇ。かわいい」と歓声を上げた。
 全員がスマホを取り出し、ラバーダックを囲み写真や動画を撮影し始めたその瞬間、黄色い胴体の下ににょきっと人の脚が生えアヒルが立ち上がった。胴体の左右からも腕が生え、その右手には斧が握られていた。
 あっと言う間もなく斧が風を切り、アヒルの目前にいた男児の首が飛んだ。赤い断面から白い骨が見え、血がびびゅっと噴き出す。大きなかわいい目を見開いたままの生首が芝生の地面をころころ転がる。
 あまりに突然で、みな何が起こったのか理解できずに突っ立ったままだったが、男児の体が地面に崩れると、まずその子の母親が悲鳴を上げた。
 金切り声で我に返ったママ友たちが慌てて我が子を抱き上げ、クモの子を散らすように逃げ出した。
 息継ぎを忘れサイレンのような悲鳴を上げ続ける男児の母親は正気を失い、血濡れの斧を持ったアヒル男が目の前に来ても逃げようとしなかった。
 アヒル男は母親の顔面を斧で薙ぎ払った。鼻から上の部分が湿った音を立てて芝生の上に落ちると両眼がぐりりっと裏返った。
 突っ立ったままの母親の身体を蹴り倒したアヒル男は次に幼い娘を抱いてうろうろと逃げ惑う若い母親の背中を追いかけ始めた。
 自分が標的になったと気付いた母親は慌てて砂場に足を突っ込んでしまい、転がるおもちゃのバケツにつまずいて転倒、作りかけの砂山に母娘ともども顔から突っ込んでいった。砂が詰まった口で泣き出した娘を抱え、あやす間もなく起き上がろうとした母親の背後に、すでにアヒル男が立っていた。
 目の前に並ぶ二つの頭をアヒル男は一気に斧で跳ね飛ばす。
 血の弧を描きながら飛んだ母親の生首はボールのようにバウンドして砂場に転がり、砂まみれの娘の泣き顔がそれに追いつく。
 首の断面から血を噴き出し母親の身体が砂場にくずおれる。それでも娘の身体をしっかり抱きしめたまま離さなかった。
 滲み込んだ血で砂が赤黒く染まっていく。
 騒ぎを聞きつけて公園横にある交番から警官が駆けつけた。
 逃げてくる母親たちが公園内を指さし、アヒルアヒルと叫んでいるがまるで要領を得ない。
 だが、血の付いた斧を振り回し走ってくるアヒル男が目に飛び込んできた瞬間、状況を把握した。無線で応援を要請した後、拳銃を抜いて「止まれ」と警告する。
 だがアヒル男は止まらなかった。ひるむことなくぐんぐんこっちに向かってくる。
 やむを得ず発砲したが、弾は黄色い体にめり込んだだけでアヒル男が倒れることはなかった。
 それどころか、あっという間に目前まで来たアヒル男に拳銃を握った両手首を切り落とされ、さらに頭のど真ん中に斧を叩きつけられて警官は絶命した。
 倒れた警官にまたがり制服で血と脳片の付着した斧を擦りながら拭き取っていたアヒル男に再び弾が撃ち込まれた。
 若い警官が震えながら銃口を向けていた。
 アヒル男が立ち上がって向かってくる。
 一瞬ひるんだものの警官は銃を構え直した。だが、走って来る異形に恐れをなして背を向け逃げ出した。
 アヒル男が斧を振り投げる。
 びゅんびゅんと音を立てて近づいてくる斧が背中に突き刺さり、警官は血泡を噴いて前に倒れ込んだ。
 起き上がろうと足掻く警官の上にアヒル男が馬乗りになる。背中に刺さる斧に全体重をかけた。
 ごぎっという音がして若い警官は動かなくなった。
 植え込みの影に座り込んだ若い母親が枝の隙間から一部始終を見ていた。指をきつく噛み締め、悲鳴を漏らさないようにしているが身体の震えは止まらない。母親は自分の横に置いたベビーカーを見つめた。生まれて三か月の息子が眠っていたが、そろそろミルクの時間だ。
 まだ起きないで。お願い。泣かないで。
 母親は祈った。だが祈りは届かず赤ん坊がぐずり始めた。
 まだ、だめっ。
 母親は心の中でそう叫び、アヒル男がどこかに去ってくれることを祈りながら、枝の隙間から再び様子を窺った。
 警官に乗っていたアヒル男がいなくなっていた。隙間から首を突き出し、左右を確認したがどこにもいない。
 きっと逃げた人たちを追って行ったのだと、ほっと胸を撫で下ろし、ベビーカーを振り返った。
 アヒル男がベビーカーを覗き込んでいる。
「きゃあっ」
 母親の悲鳴に返り血の浴びた顔を上げた。
 不穏な空気を感じ取った赤ん坊が泣き始める。
 母親は失禁で尻を濡らしているのにも気づかず、呆然として動くこともできなかった。
 アヒル男がベビーカーに向かって斧を振り上げた。
「やめてええええ」
 息子を庇おうと慌てて立ち上がったが遅かった。
 斧の一撃は小さな小さな頭をぶちゅっと潰し、ただの肉塊に変えてしまった。
 ベビーカーに頭を突っ込んで泣き喚く母親の後頭部にも斧が振り下ろされた。ごっと頭蓋骨の砕ける音がして辺りがしんとなる。
 アヒル男は母親の身体を素早く解体してすべてベビーカーに乗せた。
 脚や腕が突き出たシートから滲み出て地面に滴り落ちる脂の浮いた血が植え込みの根元にしみ込んでいくのをじっと眺めていたアヒル男は近づいてくるパトカーのサイレンに顔を上げた。
 
「武器を捨てて両手を上げなさい」
 公園の入り口に集まった警官隊の隊長が叫ぶ。
 アヒル男は右手に斧を持って突っ立っていた。左手には騒ぎに気づかずベンチで居眠りしていた老人の薄い白髪頭をつかんでいる。
 老人はあまりのショックで脱糞し白目を剥いて気絶していた。
「武器を捨てなさいっ」
 再び隊長が叫ぶ。
 アヒル男は老人の首に斧を叩き込んだ。
 遠巻きに公園を取り囲む野次馬たちから悲鳴が上がった。
 老人の生首を持ち、野次馬たちに向かって走り出したアヒル男は悲鳴を上げながら散らばる野次馬に生首を投げた。
 それは弧を描き、スマホで撮影に夢中になっていた若者の頭にヒットした。
 倒れた若者へ馬乗りになったアヒル男が斧を振り上げる。だがいくつもの銃弾が撃ち込まれ、その手を止めた。
 たくさんの弾丸が黄色い体にめり込んでいたが、アヒル男は痛くもかゆくもなさそうにすくっと立ち上がり、公園の横を流れる川に向かって走り出した。
「追えっ、逃がすな」
 警官隊が走り出した。
 アヒル男は川に飛び込むと手足を動かし、水の流れに乗っていく。
 隊長はすぐさまボートを要請した。
 川岸を追いかける警官隊を引き離し、アヒル男は川を下っていった。
 泳ぎの得意な一人の警官が川に飛び込んだ。
 ぐんぐん距離を縮め、あと少しというところで、アヒル男が振り返りざまに斧を振った。
 目を剥いたまま生首が飛び、鮮血が川面を赤く染める。
「行けっ、見失うなっ。ボートはまだかっ」
 怯む隊員たちに隊長の怒号が飛んだ。
 アヒル男はゆうゆうと川を下っていく。
 それを見ながら誰もが大きくて派手な黄色を見失うはずがないと思っていた。
 だが、ほんの数メートル先でその姿は忽然と掻き消えてしまった。
 
 捜索隊のボートが川面にたゆたう弾痕だらけのラバーダックを発見したのは見失ってから五時間が経過した頃だった。
 場所は姿が消えた位置からそう遠くないところで、警戒しながら確保したもののラバーダックの中には誰もいなかった、というより胴体には腕や脚を出す穴などなく、さらに人が被れるような形状ではなかったのである。
 では、あれはいったい何だったのか――
 
 死者十名、軽傷者一名を出した残酷で不可解な事件は容疑者を特定できず数年が経ち、あまりの残虐性から都市伝説と化した。
 だが、実在の事件の証拠としてラバーダックは今も警察に保管されている。
 はずだった――
 
「ねえあれ見てぇ、ウケるぅ」
 繁華街を歩く高校生カップルの彼女が街路樹の横にある大きなラバーダックを指さした。
「ははは、たしかアヒルの都市伝説ってあったよな。なに? ドッキリ?」
 笑いながら彼氏がスマホで動画を撮りかけた瞬間、アヒルの胴体からにゅっと腕と脚が生えた。
 

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