誰かの中に永遠に生きること

『あの星はもう存在しないが光は君に届いている』
ーある天文学者の恋文より

とても興味深いやりとりがありました。

紫外線や赤外線を見ることはできない。
目の前に咲いてる花の色が本当はどんな色なのか、香り、感触…全てにおいてわたしたちの脳には限界があるということ。

だから、世界の本当の姿がどんなものなのか知ることはできない。

人の脳は高度なコンピューターと同じようなもの。
プラトンの洞窟の比喩やカントの認識論。

universo é scritto in lingua matematica

宇宙は数学の言葉で書かれている

ガリレオ・ガリレイ

宇宙の事は言葉では表現しきれない部分があり、数式のみで表す。
数学は宇宙を観測可能な対象として客観的に判断できる用語、それが数式だと見かけたこともあります。

わたしたちの脳にはそれ以上を知ることには限界がある…
こういう話は奥行がありますね。


冒頭に書いた台詞は、大好きな映画の中にあるのですが
夜空を見上げて目で確認できる星の光はもうずっと前の光。

わたしたちは過去に光り輝いてた星を見てるのだと思うと不思議な感覚です。

映画では、既にこの世にいない恋人からたくさんの手紙やメールや動画が届きます。
その人の中に永遠に生き続けようとして。

この世は、自分が見ている生きてる世界は
自分の認識と前提で成り立っている世界。

今の目の前に見えてるものが
過去の自分の心の中(前提や認識してた事)を撮り終えたものが流れてるとして

そしたら今自分は
どんなものを撮りたいかな?

歌やアートや本もその人の姿がなくても
感じることが出来ますね。

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