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所有欲とコントロール欲

人間なので、欲というものは出てくると思います。

これやりたい、あれ欲しい、あれ食べたい、あそこへ行きたい!

というものから
もっとこうして欲しい、愛して欲しい、気にかけて欲しい、認めて欲しい…など。

自分を愛する、という言葉を聞きますが

それはご機嫌を取るだけではなくて
自分の中にある出来れば見たくないような感情も見つめて流していくことなのかな?と、思うのです。

生まれ育ち、過ごしてきた環境によっては
自分の感情に蓋をしてしまってきたかもしれません。
まだ幼い頃の自分には、どうやったら良いか分からないから
その時出来る最善と思ったことが、もしかしたら『我慢する、蓋をする』だったのかもしれませんね。


感情を感じるって、体感のようなもの。
ウキウキする、ワクワクする
楽しそう!嬉しい!幸せ!
悲しい、辛い、しんどい、ズーンと気持ちが落ち込む…などなど。

その後に湧いてくる思考は
『でも、〜だからなぁ…こうかもなぁ。』
というお喋り。
それはBGMとか一人カラオケしてる人
みたいに、そっと離れて取り敢えず流すのがいいかもしれません笑

感情を感じることよりも、その後に出てくるお喋りな思考(自我かな)に囚われすぎると辛くなっていきます。

自分を愛する、自分を大切にする。

わたしにとってそれは
自分の感じているどんな感情や気持ちもなかったことにせずに、気づいてきちんと感じる事かなと。

自分を知っていくこと
自分の本当の気持ちを認めること。
決して自分の気持ちを置き去りにしないこと。


それが出来ないと、周りや他者に求めて枯渇してしまう。
どうして見てくれないの?愛してくれないの?と。

自分は寂しいんだな、悲しいんだな、絶望なんだなと見つめるのは苦しいかもしれないけれど
そこをテキトーにしてると同じようにテキトーにされる扱いが見えてくるかもしれません、目の前の世界に。

その寂しさや悲しさは、小さい頃の何かかもしれないです。

大人になった自分では見逃してしまうくらいに『小さい』ようなこと。
でも、小さい頃の自分にはそれがとても大きくて大切で全てと思ってたことかもしれません。

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