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だから、今のわたしが在る

何年か経ってまた見返した時に
自分がホッと出来るように。

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


姉が車に当たられて転倒して怪我をしました。

幸いにも、打ち身とこぶで済み緊急外来と次の日の検査の結果も問題はありませんでした。

いつものように家に遊びに来て
いつものように少し通りを歩いたところまで見送り
部屋に帰って5分後に電話が鳴り
電話をもらった時は動悸と血の気が引くのを感じて立ちくらみもしましたが
とにかく行かなくては…と自分を奮い立たせて走りました。

本当に、幸いなことに
色んな方々が助けてくださって事もスムーズに進んで病院での検査も問題なかったです。



わたしは数年前から
自分自身のこの先のことでこうしよう、と決めてたものの少し気になる事がありました。

東京を出て別な場所や海外に行くとなったら…
両親のこと、兄姉のことがなんとなく気になってました。
わたしが気にしすぎだったのかもしれません。
『こういう事が起きて、すぐに駆けつけられなかったらどうしよう』という気持ち。

そんな時に起きた事なので、ものすごく動揺しました。

いつ、何が起こるかわかりません。
いつものように過ごしていても。

それは日本にいても違う場所にいても何処にいても。

昔は大切な人との別れは悲しすぎるから、そう思う人はなるべく作らないようにしようと思っていたけれど

でもだからこそ
一瞬一瞬が美しく幸せで
そう感じる思いによって、またわたしの中に色んな大切な欠片が増えていくのだと思います。

その欠片たちは今のわたしを作っているものの一つでもあり。

今この一瞬も大切にしようと日々常に思うのです。

大切な人たちに、こういう事があった時どうしよう。
自分が歳を重ねれば両親も同じように歳を重ね、気にかかる事も出てきます。

でも、きっと大丈夫。
って信じることも大切だなと思いました。

それは本人たちの事を大丈夫だと信じることも大切ですし
そうなった時に必要な行動をすぐ出来るという自分を信じる事も。

なぜ、そう思えるかって
今まで経験してきたことや
フットワーク軽い自分だと思っているし
周りに相談できる頼れる人たちもいる自分だからです。

何かあったらその時考えればいい。

今は便利な時代だから、すぐに航空券も取って帰れるし連絡もすぐできる。
いざとなったらわたしの代わりに周りにも頼れる友人たちもいる。

だから不安に引きずられ過ぎないで、と。

実際に大切な人にそういう事が起こったけれど
わたしがその時近くにいて良かった。
すぐ駆けつけられて良かった。
そばに居た人たちもみんな駆け寄ってくれて助けてくれて良かった。

悪い面だけを見続けると、なんでこんな事が…と思いますが
こういう風に、良かったと思える部分もあります。

起きた出来事を何でもかんでも紐付けすぎるのも好きではありません。
でも色んな事を考え直すきっかけにもなり得ることもわかっています。

その辺のバランスをとりながら生きていくことをわたしは常々大切にしてます。

待ち時間の間に姉とも色んな話をして、本人も吹っ切っていたようでした。
人生なにがあるかわからないからこそ、あれやっとけばよかった!にならないようにしないとねと。

友人が言っていた言葉で忘れられないのが

マジでこの世を去る事以外はかすり傷。
(人それぞれの考え有)

わたしは色んな転機、節目、ターニングポイントを経験してきたと感じてます。

20代はイタリアに移り住んだ事。
30代に入ってすぐに実家の事で色々あり
母の大病が見つかり手術と治療が始まった事。
(現在は完治してます)
大切な家族の柴犬フーがこの世を去った時、会えなかった事。

そして今回、大切な人に起きた事故。
大事には至らずに本当によかった。

考え出したらあらゆる不安は出てきますし
その事は生きてる間に起きるかもしれないし起きないかもしれない。

でも今は

今の瞬間ってどうかな?
まだ今は何も起きてないじゃない。

だから引きずられないでよ。

と、わたしの中のわたしが言ってるようにも思えました。

自分と対話することはとても大切です。
わたしは無印の落書き帳がお気に入りでいつも書き込んでます。

今回の事があってから

そろそろ、呑気にやってる場合じゃないんだけど
どうする?やる?やらない?

とも言われてる気が。(自分に)

どんな選択をしても『自分が納得して』決めた事なら後悔はないです。

そこに環境や自分以外の人に比重を置き過ぎて決めたならば
それは後に『あの時こうしていればなぁ』となるかもしれません。

わたしがなぜこんな風に思えるかって
大切な人を2度失うかもしれないという恐怖を体験して
でも今2人とも元気に過ごしてくれてるから。

30代に入ってからそういう事があり
今をしっかりと大切に、地に足つけて歩もうと思えるわけです。

だから自分の外側のうるさく感じる事に気を取られている場合ではないし
自分の持ってるエネルギーは有限なので
大切な人や自分が費やしたいことへ向ける事が何よりも優先なんです。

時折揺らいだり折れそうになることがあったとしてもそれも良いんです。
自分で建て直し方をわかってるし、バランスの取り方もわかってる。

だからもう大抵のことには揺らがない
そういう自分で今在ります。

わたしが、在るべきところで
これからもそうやって生きて行こうと思います。

自分自身への自己認識
自分の在り方、物の見方の前提
自分の心が今感じているその感覚。

それらが積み重なってこの先が作られていくのだとわたしは思っています。

美味しいもの食べながら!(また食べ物…笑)

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