Addio e Ciao
イタリア語で
Addioはさようならの意味ですが
2度と会わない時などに使います。
今日は誕生日でした。
Addio 30代…
写真のフォルダを見返して、10年間どうだったかなーなんて。
友人たちと話した時に、みんな30代の中で2度ほど暗黒期が来ているという笑
女性のこの時期ってほぼ厄年ですよね、信じる信じないはともかく。
20代の頃は
大学生活あってイタリアでの生活あって
社会人になって…と半ばくらいまで学生だったんです。
でも30代になると本当に全て自分自身で責任持ってやっていくというか
頼ってはダメ、全部自分で出来るようにならなくてはと奮い立たせてました。
何度も何度も『これじゃだめ、こんなんじゃだめ』って自分に言い過ぎてた時もあったり
心と身体が疲れてしまった時もありました。
自立しようとするのは良いと思うのですが、過自立になると今度は頼れなくなって受け取れなくなるんですよね色々。
せっかくのものを全力で拒否して辛くなるという。。
なので半ば以降は
無理なもんは無理だっつーの。
くらいの気持ちで開き直るようにもなりました笑
出来る人にお願いしたり頼ったり聞いたりした方が早くない?
もちろんやれるところまでやって、考えるところまで考えて
それでもわからないし思うようにならない時はそっと置いておくのもいいかって気がついたり
白黒はっきりさせたがりだったけどグレーのままでもいい時もあるし
正解不正解を作り過ぎないように。
なんだか色々楽ちんになりました、自分が納得するまで感じたり体験したりなんなりしたら。
これまで生きてきた中でたくさん選択して決めてきたけど、後悔したことはあったかな?
いつでもそれがその時の自分にとっての最善だと思ったから選んできたと思うのです。
他の人からしたら
『それを後悔っていうんじゃないの』という事でも『そう?』と自分が思ってたらそうじゃないんだと思います。
自分の認識と人の認識や受け取り方って違うなと。
色んな人に会ってきて、色んな環境に行ってみて
人を通して環境を通して自分を知っていって
本音はとても柔らかくて繊細なもの。
怒りや悲しみのその奥にそっとあるような
楽ちんになったけど、気を引き締めてピシッとする瞬間も変わらず好きです。
脈絡なくたくさん書いちゃった。
若い頃は30代40代ってものすごく大人のイメージでなんでも出来てると思ってたけど
そうでもないし、でもそれも良いかなと。
成長したところもあれば、変わらずに大切にしている部分もあったり
苦手なものがあったり、出来るようになったり。
ものすごく肩に力が入りながら頑張ったな、とも思うし
色々とスーッと抜けて緩やかになったとも思います。
どれも自分だしどんな自分も良いと思ってます。
これからの過ごす日々の中にたくさんの笑う瞬間があるように
幸せや楽しさ面白さを感じられるように
在りたい自分で在ろうと思います。
イタリア行けてない…。
もう口にするのやめておこうかなこれに関しては笑
行く時は行くよきっと、多分。
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