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修正できない怖さ

先日ありがたいことに仲間と出版した本の感想をメールでいただいた。
出版したのが2020年の8月なので2年半くらい経っているけれど時折DMやメールで届く感想は本当にありがたい。
出版直後とはまた違う嬉しさというか励みになるものです。

改めて思い返してみるとやたらと僕の負担が大きかったというか、やることが多かった。
その中で図抜けて大変だったのは冒頭に書いている
「双極性障害について」の部分だった。
他の部分については僕自身や夫婦の経験を綴るだけなので頭の中でまとまったらダーッと書くだけだったのに対して、
双極性障害について…となると僕の経験だけでは書くことができない。
かといって専門的なことも書けない。
僕がテキトーなことを書いたら読んだ方に誤解を与えてしまうし、
素人が医療的なことを書くことも許されない。
結果として僕はまっっったく書くことができなくなってしまった。

そもそもこのパートは冒頭にあるけれどタイミングとしてはすべての原稿が出揃った後に出版社から依頼されたもので何にも考えていなかった。
つまり締切まであまり猶予がない。
僕の原稿が滞ると全部が滞る。
しかも他の原稿と違って文字数制限つき。
マズいと思ってキーボードに向かうとさっき書いたようにあれこれ考えてしまって書けなくなってしまう。
結果、僕はDSM-5を読みつつ自分に起きた症状を比較するような形でヒーコラ言いながら書き上げて担当者に送った。
…が、返ってきた。
理由はシンプルに「硬くて分かりづらい」
今のところ僕の人生においてトップクラスのガビーン体験(貴重と言えば貴重)
書けずに四苦八苦して書き上げたら突っ返される。
カミさんには読んでもらったものの言われてみれば硬いけど具体的にどうして良いのか分からないと言われてしまい突破口が見つからない。
…とカミさんから出たアイデアが親父に読んでもらうのはどうか?ということだった。
この辺のことは前にどこかで書いたような記憶があるけど思い出せないからもう一度書いておくことにします。

というのも親父は若い頃からいわゆる読書家で文学作品も文芸もルポも読む人なのでものすごく幅が広い。
(ちなみに僕の好きな作家は苦手らしい)
カミさんからすれば忖度なしに批評してくれるのは親父以外にいないと思ったらしい。
何よりも精神疾患に対する予備知識が皆無なので親父に伝われば他の人にも伝わるのでは?と考えていた。
言われてみれば確かにその通り。
ならば善は急げでさっそく親父に送って読んでもらうことにした。
気になるその反応は…
「専門用語が多くて分からん!」だった…。
例えば僕は当たり前のように躁転という言葉を使うけれど親父にはその言葉からして分からない。
僕の原稿は一事が万事そういう感じで書いてあるので分からないことだらけと言うのである。
僕はまたもやガビーンである。
ところが。
親父からもらったアドバイスですっこーんと光が見えた。
それは「中学生に伝えるつもりで書いてみる」ってことだった。
躁転という言葉ありきで書くのではなくて、
「躁転とはこういう状態になること」という説明を加えながら書いてごらんというのが親父からのアドバイスだった。
僕が当たり前のように使っていた言葉の多くは多くの人にとっては専門用語だったことに気付かされた瞬間でもあり、
日頃から「なんでもかんでも横文字とか専門用語使ってんじゃねーよ」とか悪態ついてた僕も同じ穴のムジナだと気付かされた。

書き方さえ分かってしまえばあとはこっちのもの。
その日のうちに親父に再確認してもらったから2時間くらいで直すことができたと思う。
そして親父からオッケーをもらったものが巻頭に載っているわけです。
親父がいなかったら書くことができなかっただろう。
昔から物事を丁寧に教えてくれる人だけど改めて親父のありがたさを感じることができた。
いくつになっても僕は息子なんだなぁ。

この本のおかげで僕は色んなことを学んだけれど、
1番は公的な場で話したこと(書いたこと)は修正が効かないという怖さだった。
僕にとっては何度も話したことでも聞く人にとっては初めてということもある。
誤った情報や個人的な経験をさも正解のように伝えてしまうと取り返しがつかないことになる。
言うまでもなく僕は誰からも信用されなくなる。
これが書籍なら最悪、回収&販売中止。
こうなると僕以外の人にもむちゃくちゃ迷惑がかかる。
だから相手によって多少は回りくどくなっても端折ることはしないし逆に専門用語を使っていいな、とか考えるようにしている。
何よりも親父のアドバイス通り分かりやすく伝えること。
それを僕は大切にしている。

たぶん実際に僕の漫談めいたゆるい話を聞いたことがある人からするとnoteの文章はまどろっこしいというか堅苦しいと思う。
たぶん最も堅苦しいのがここだ(笑)
それはこういう経験から学んだことなのでまあ…大目に見てもらえたら…と思う。

ピアサポーターとしての矜持があるとすれば
自分のためじゃなく、今も苦しんでいる当事者や家族のために活動する。
それが回り回って僕のためになる…的な。
ま、そんなカッコいいものはいらないけどね。
みんなが笑えるようになったらそれでいいから。
リカバリーの定義はあるけれど正解はないと思っているし。

ってなところで今日はこの辺で。
僕の堅苦しい文章にお付き合いいただきありがとうございました。

それでは…
アディオース!

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